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phussapa校アーユルベーダコース受講中のN君(from三重)

タイマッサージ研修(ワットポー/フット)と古都チェンマイ 
                                     
遊裕人2001?.5/5

 私どもJANALの方針として「まず自分でやってみる」というのがあります。自分で気に入らない
ものを他人に勧められるわけがありません。今回私自身も2年半前の「基礎」コースに引き続き「フット」に
挑戦です。ワットポースクールでは研修に来るのはJANALだけだと妙に感心しておりましたが、通常の旅行
社なんてこんなもんです。「旅行社員、見てきたような嘘を言い・・・・」
事実、現地ワットポースクールに研修に来るのは当社だけのようです。

また「どうせやるなら本物を」と考えます。国内では、日本・・・協会公認だとか、いかにもタイ国が
公式に認めているかのような宣伝をして生徒を集め、指導する資格のない、さらには本格的な講習を
まともに受けたこともない者が教えているというまことに憂える状態になっております。これら
学校まがいの教習所はもちろん本場タイではなんの効力も公的な資格も一切認められておりません。
やはり現状では
本物のタイマッサージは本場に行って学ぶしかないのです。

4/28(水)台北経由(中華航空CI)にてバンコクへ、今回は10年前に亡くなった友人への追悼旅行でも
あります。空港で両替(深夜でもやっている)し、タクシーでスクンビット地区のホテルへ向かいます。
空港内はいつものとおり煩雑で、怪しげな客引きが声をかけてきます。多いのはいかにも空港職員風
の衣服を着た女性の勧誘でしょうか。ホテルまで650BHT(1バーツ=約3円)ぐらいで声をかけてきます。
 これらを振り切って公のタクシー乗り場からホテルに向かいます。所要約40分ほど。運ちゃんは
英語が中2レベルだが問題はないようです。料金はメーター制ですが高速利用でその料金がよけいに
かかります。300BHT払いました。(通常はスクールの者が迎えに出てホテルまでお送りします)

 ホテルはリージェンシーパーク(4星)-こじんまりとした5階建てで、見かけよりは部屋は広くさっぱりと
していました。欧米人も多く日本語は通じません。ヘヤドライヤーはありましたが、歯ブラシやパジャマは
ありません。屋上に小さなプールがあり、朝食が付いています。1階には日本料理屋が入っており、今晩
はここ「徳川」で夕食を摂りました。ビール付で450BHT程でした。

4/29(木)8:30少し早めにスクールに向かいます。徒歩約10分。ただスクンビット通りを横切るには少し
勇気が要ります。怖ければちょっと先のプロンボン駅の階段を使えば安心です。soi33(33番通り)の
入り口がわかりづらいのですが、セブンイレブンとボーリング場のピンの間を入ると、左にまず
ノボテル・ロータスという4星のホテルがあり、そこからさらに3分ほど歩いた右側にあります。このホテルは
評判がよく、余裕があればぜひお勧めです。なおバンコクは看板が多くスクールはあまり目立ちません。

 9時から午前中3時間みっちりフットの勉強です。2人づつペアとなって交代で先生の指導で講習が
進められます。この日は基礎コースに10人前後、上級に5-6人、フットに3-4人程の受講生でした。
毎日いろんな方がいろんな日程で来ていますので、メンバーはときどき替ります。

 昼食は仕出し弁当も頼めますが、私は近くのイタリア料理屋に行きました。250BHT程。
午後は他の生徒さんと同じ内容を繰り返し、反復練習します。私の場合は午前中は先生(女性)と、午後
からは60歳程の男性が相手でした。(基礎・上級コースは基本的に男女別々でペアを組みます)
 私は時間があまりないため、夕方16時からさらに講習を受けました。今度の相手は25歳ほどの女性
です。親がタイ在住とのことで、約1ケ月滞在して1日3時間ずつフットを習っているとのことです。

 皆さん、意外と長い滞在の方が多く、ノービザで滞在できる1ケ月予定の方が多いのには少々驚きで
した。またスチュアーデスの方なども1日単位で少しづつ頑張ってマスターしていました。

 夕食はタイ料理を食べにレストランへ、ビール込み350BHT。

4/30(金)今日午前中は当社から送客のYさんとペアでさらに反復練習です。彼女は50歳ほどの方ですが
娘さんと一緒に来られ、娘さんは仕事の関係で基礎&フットで帰られたのですが、彼女は上級を終了し、
さらにフットの復習を6時間追加したくなったのだそうです。(フットは15時間まで可能)

 私は午前中だけの講習で終了し、現地のオーナーやスタッフの方々と会食しながら、今後の打ち合わせを
しました。なお、私の終了証は2日間だけだと間に合わないので後で送付してもらうことになりました。
(通常5日以上のコースは最後に終了証が出ます)

 午後からはプッサパ校の見学です。当社から送客したNさんやTさんは頑張っているでしょうか?

 場所はワットポー校から以外に近く、歩いて10分ほど、ちょうどTARAホテルの真向かいなのですが、やはり
看板があまり目立ちません。ちょうどこの日はフットコースの試験日だったようで1人を除く全員が
合格しました。ここはアーユルベーダまでの長期コース(約2ケ月半)の方にお勧めしています。Nさんは連続
して約2ケ月目、Tさんは基礎&中級で2週間コースをまず受講、夏に上級を2週間、さらに秋に2週間アーユルベーダと
3回に分けて受講します。みなさん張り切って頑張っているようです。
 なお、アーユルベーダといってもバンコクのものはインドやスリランカのハーブオイルを使ったベタベタ
のものではなく、蒸したハーブを布で包み、それを患部に押し当てるといったものです。
目的は癒しというより、治療そのものにあります。

 さらに私はアリストン、インペリアル・クイーンズパーク、ジェイド・パビリオン、ノボテル・ロータスを回り下調べです。プッサパ校
からはアリストンが徒歩3-4分と近い位置にあります。長期になる場合はNさんのように当初1週間はアリストン、
後は現地で安いアパートを借りるのもいいと思います。

 夕食は居酒屋で、ただしバンコクでは結構高い(ビール込650BHT)のであまりお勧めしません。大体は写真
つきのメニューをおいてあるので注文しやすいと思います。また、あまった時間を利用していろんな
マッサージ店をはしごしましたが、料金は1時間200BHT、2時間でも250-300BHTというところ-非常に安いので
安心して入れます。

5/1(土)今日はチェンマイに向かいます。タクシー250BHTで交渉。空港へ
 バンコクからは空路約1時間で古都チェンマイへ、
 
(最大のドイ・ステープ寺院にて)        (ワット・プラシンの仏像)           (ナイト・バザールにて)

 
ここチェンマイはタイの北方に位置し、小高い山々に囲まれた盆地で、小京都のような雰囲気である。
この地域の古王国でみられるように中央がお濠と城壁で囲まれ、その中にワット・プラシンなどのお寺がある。
ワット・スアン・ドーク、ワット・チェット・ヨートなど14〜15世紀に建立された物が多い。

 今日は早めにチェンマイ・プラザホテルにチェックイン。ここは4星だが料金も手頃だし、ナイト・バザールへ徒歩5分という
便利さでお勧めだろう。向かいの中華料理店で昼食を摂り(ビール込300-400BHTしばらく昼食に通うこと
になるのだが)、午後はプールでひと泳ぎ、それでもあまりの暑さに早々に部屋に引き上げる。
なんせ、シュンペーター・ドラッカー・Mポーターなどの本を持ち込んだのだ。少しは頭の勉強もシナイト、なんせ当社の
コンセプト・テーマは生涯学習なのだから。

 夕刻からはナイト・バザールへ。ここはいってみれば上野のアメヨコ。なんでもあるし、なんでも安い。
ついでに夕飯もここで済ます。ナンと茄子カレーとビールで110BHT。
夜はマッサージへ。「シャル・ウィー・ダンス」の渡辺・・・にそっくりのお姐さんが疲れきった私の肩や背中を揉み
解してくれました。1時間200BHT。

5/2(日)8:30暑くならないうちに近郊のドイ・ステープ寺院に向かう。タクシーは午前中貸切りで700BHTという。
 昨日の空港からホテルに案内したドライバーは1日2000BHTと言っていたが、少し高いと感じ、トクトクと
交渉、半日300BHTで交渉成立(ちなみにトクトクとは三輪タクシーのことで当然窓なし)。すると途中で電話
するので何事かと思いきや、友人のタクシーが駆けつけ、乗り変えろという。
 後で気が付くのだが、なるほどこの寺院はトクトクで登れるシロモノではないのだ。約1000Mは上った
ろうか、それこそチェンマイ最大の壮大な寺院があった。
それにしてもトクトクの運転手はなかなかやるものだ。せっかくのお客を奪われないよううまく囲い込ん
だことになる。

 帰りに国立博物館ワット・チェデイ・ルアンに立ち寄ってもらう。この寺ははレンガ造りで独特の雰囲気があり、
ミャンマーのダマヤジカ寺院を彷彿させてくれる。しかし今日も暑い。こんな日は早めに切り上げ、昼寝に限る。
タクシーには100BHTよけいに払い400BHT。それでも安いものだ。

 夕刻、街に出る。男1人で来たのだ。やはりなんか足りない。森下愛子似の小姐を捉まえ一緒に飲むこと
にする。しかしこの女、顔やスタイルはいいのだが愛想が悪い。話が弾まず面白くない。こういう所では
女は見かけで選んじゃいけないようだ。こっちをジット真剣に見つめる者から選ばないと。

 さて明日1日何としよう。ここにはカンボジアやミャンマー以上のものはないようだ。

5/3(月)今日もトクトクで街をブラブラ。寺院に入っては仏様に向かい、しばし瞑想にふける。飽きたら
 また別の寺院にいっては仏様の前でニラメッコ。近郊にクラフトの村があるというので出かけてみる。

 サン・ボーン、なるほど、宝石や皮製品、じゅうたん、傘、シルクなどのお店が並んでいる。玉石のブレスレット
2個で800BHT。ほかに欲しいものはない。いつもの中華料理屋に戻り昼食、目的のない買い物は疲れるもの
だ。今日はもう何もしたくない。そういえばあの中華料理屋でテレサ・テンが流れていたっけ。たしかここの
ホテル・メーピンで亡くなったはずだ。合掌!

5/4(火)8:30、早めに空港へ。荷物はスルーで台北へ。空港税500BHTを払いチェック・イン。そういえば両替は
 タイの場合、街の両替屋が便利。ホテルだと10000円が3300BHTしかならないが街のそれは3600BHTだ。

それにしてもバンコクのトランスファーはわかりずらいし、時間もやたらかかりめんどうだ。空港自体、到着客と
出発客とトランスファーとがごっちゃになっており、テロ対策などどう考えているのかあやしいものだ。しいて
言えばいろんな国の客が混じっているから逆に安全ということか。

 なつかしの台北空港は10年以上が経っているはずだが、あまり変わらないように見えた。リムジンバス
で市内まで100元(約300円)、ホテルは華華飯店(Flower Hotel)、今晩泊まるだけなのでバスの出発場所に
近いので決めた。それにしても台北は上海などの変貌ぶりとちがい、まるでここ10年時が止まっていたか
のような印象で懐かしかった。死んだ友人Uとはよく遊びに来ていたのだ。

5/5(水)リムジンで空港へ。CI8:55の便で帰国。ここ中正空港は珍しく空港利用料がかからない。しかし
 これが当たりなのであって、JR新幹線の各駅で駅使用料など取られたらたまったものではない。予定通り
成田着、今回もお疲れさまでした。

追:機内に預けた荷物を受け取る際は、国内線同様、早めに預り証をチェックする体制を採るべきだと思う
のだが、一体いつになったらやるんだろう。今のままでは他人に持っていかれても絶対わからない。



今シーズンのスキー(富良野を滑って)                遊裕人2/1

 まず富良野へ行って来ました。1/28-31スカイホリデイ利用3泊4日(新富良野プリンスホテル利用)
羽田発9:05の旭川直行便はAIR-DOとの共同運航で搭乗率約20%、ガラガラである。富良野へは
旭川直行便を使う。これ我々の常識です。札幌からだと片道3.5時間以上かかる。旭川空港からだと
約1時間。数ある北海道のスキー場でも最もアクセスがいい

 泊まるのは新富良野プリンスホテル。ここは目の前がゲレンデだし、山側の部屋はスキー場が
見渡せ、平野側だと遠くに十勝岳の噴煙や大雪山系の山並みが望め、最高のロケーションである。欠点と
いえば大風呂がないことと町並みから少し離れていること、そして西武系に共通するレストラン
料金の高さだろうか。

 しかし、こんなに空いてていいのだろうか。ゲレンデは天気もよく、新雪も少しずつ降り
最高の状態なのに。昔のとんでもなく混雑し、リフト乗り場に30分も並んだ身からすると大変
ありがたいのだが、寂しい気持ちもおおいにある。どうしてスキーを楽しむ余裕がないのだろうか、
世の中そんなに不景気なのだろうか、と。むかし滑っていたオジさん達は一体どこにいってしまった
のか?

 2日目から関西の高校生が修学旅行に来ていました。2日間滑って札幌観光をしていくそうです。
みんな非常に楽しそうで活き活きしていました。名所・旧跡巡りもいいでしょうが、雪のない地方は
スキーが絶対おもしろいと思います。雪だっていつまで降るかわからないのです。

 このゲレンデは北の峰と新富良野側と大きく二つに分かれ、連絡リフトで結んでいます。
かつてはワールドカップも開催された名門コースでもあるのです。それぞれ奥行き3キロほどのコース
が2-3本あり、エゾ(?)松の間を滑ります。国土計画のコースに共通することですが、ゲレンデの
手入れが行き過ぎて物足りなく感じます。せっかくの新雪が被っているのに圧雪してしまうのです。
コブがあったら削ってしまうのです。少し残しておいたら最高です。とにかく雪は最高です。
最も今回は少し重たかったが。

 滑っていて中国語がよく聞こえました。台湾からチャーター便で飛んでくるのです。そのうち
北海道は中国や南アジアの人でいっぱいになるかもしれませんね。それまで雪が降ってくれるの
だろうか心配です。

 また来るぞと決意して帰ったのですが、スキーも雪ももっともっと楽しんで欲しいなとつくづく
思います。


バンコク、タイ古式マッサージ研修                    裕遊人12/04  
ワットポー・スクンビット校で/チンタナ先生ともに

2001.11/26(月)〜11/30(金)にて実施、ホテル:レンブラント(4星)12/1はバンコク市内観光

25日に乗った米国UA便はテロの影響などまったく感じない超満員でした。むしろJAL便の方が料金の関係で空きが目立つようです。
さて我々の研修相手校は
ワットポー・スクンビット校、名前のとおりスクンビット通りから少し入ったところにあり、結構
多くの日本人がその技術をマスターするため勉強しています。日本の整体の専門校を出た方や、開業医の方、完全フリーの方など
いろんな方がいます。
ここは1.タイ古式マッサージ基本コース(5日30時間)、2.タイ古式マッサージ上級コース(5日30時間)、
3.フットマッサージコース(2.5日15時間)の3コースがあり、講師はワットポー本校から来ます。

 我々はタイ古式マッサージ基本コース5日間を選び、午前中9-12時と午後14-17時(通常は13-16時)の間、MISS.CHINTANA 
NOPPARIT先生から集中して実技中心の指導を受け無事「
終了証」を頂きました。この先生は英語とカタコトの日本語が話せますし
、またスタッフは日本人や日本語の話せる人が多く、言葉の不自由さはまったくありません

 卒業後は日本で開業される方も結構いるようです。我々はプロ中心のメンバーでしたので、その感想を聞けば、東洋医学やカイロ
の施術の中にタイ式を取り入れることで相当効果が得られそうです。特に実技中心でわかりやすいし、覚えやすいということでした。

 今までなんの経験のない私も帰国後、さっそく友人に試してみましたが抜群の評判でした。特にプロとして開業まで考えなくても、
友人,知人、親・兄弟、ボランテイア、介護などに大いに役立ちそうで、非常に価値のあるバンコク研修旅行となりました。

 2名(ペアで練習するため)以上であれば、いつでも参加できる体制を取っておりますのでご希望の方はぜひお問い合わせください。
6名以上であれば、先生も貸しきりで受講できますし、ガイドや添乗員もつけられます。



(3)ベトナム・カンボジアから                      裕遊人2001.8/31
  
  (ホーチミンの海鮮料理屋で)                 (カンボジア-タ・プロム寺院)

 ベトナムとカンボジア-実に対照的な国でした。動と静。街の楽しみとアンコール・ワット等遺跡の面白さ。

当初はベトナム航空でホーチミンにdirect・inの予定でしたが、予定便が取れず、バンコク経由になりました。
よって、NH午前便でバンコクへ、そしてTG乗り換えでホーチミンへ。乗り継ぎの時間を利用し、空港内の
マッサージルームで肩・足をマッサージしてもらう。2人係で30分600バーツは市内の2〜3倍の値段。

 ホーチミン:なんと活気のある街だこと。バイクと女性の多さ。バンコクに比べ日本人客が多く、
しかも女性客、家族連れ(母娘)が目立つ。
 今ベトナムは生春巻で有名になった食べ物、雑貨が面白い買い物、それにエステがそろい、若い
女性にはたまらない街だろうと思います。ただし見る所はあまりない。ここは街を楽しむところ。
洋服のデザインもなかなかいい。

 2日目:ミトクルーズ-終日メコン川をクルーズし、島に渡り上陸して果樹園でいろいろな果物を食べる。
パイナップル、モンキーバナナ、オレンジ、マンゴスチン、竜眼・・・みんなおいしい。
午後は昼食後、早めにホテル(ニューワールド-4星)に戻り、プールでひと泳ぎ-至福のときである。

 ただ、私の部屋に水漏れがあり、部屋をchangeしてから異変が起こリ始める。1.旅行カバンが
前ぶれなく壊れる。2.肩から背筋がやたら痛み始める。3.同行のメンバーのカメラが盗まれる。
ただ手配がスムースに流れなかったとき(希望便が取れないとか)はえてしてこのようなことが起きるもの。
それともベトナム戦争時の亡霊にでもたたられたか?

 3日目:気を取りなおし、シェムリ・アップに向かう。60人乗りの双発機の客は我々を含め7-8人のみ。
機上からみるカンボジアの大地は雨季(4-9月)のため水浸しである。メコン川からトンレ・サップ湖まで
ずっと、大洪水の様子、でもこれで普通なんだとか。
 したがって、雨季は米も作れず、この水をかんがい池に貯め、乾季に米を作るのである。

 シェムリ・アップ空港に着いてみると迎えの車が来ていない。異変はまだまだ続いているようである。

公衆電話もないので、空港で電話を借りようとしてるころガイドのペロン君現る。23歳、3回目の案内
だそうである。なんらかの事故で間に合わなかったとか。経験上、すこしここはextra ordinaryを覚悟
したほうがよさそうである。

 さっそく、我々3人とガイドを乗せたワゴンは、停まるべきホテルを行き過ぎて引き返す。
ドライバーも初めてだと。まあ、こんなものなんでしょう。今夜からの宿泊はシテイロイヤル(3星)。
ホテルで両替をしたらたったUS10ドルが500ルピアのピン札が25000ルピアとなって返ってくる。
あとで聞けば、街の相場は35000とか。とりあえず使い物にならない。こちらでは買い物の最小単位は
US1ドルなのである。1ドル以下はなく、1ドル以下はすべて1ドルとなる。あとは数を増やしてもらう。

 夜はカントクデイナーショーを見る。ゆったりとした動きはまるで深海魚のよう。じっと観ていると
やっと動いているのがわかる。こちらの女性は小ぶりだし、細いけど、キレイだし、セクシーに想えてならないのは僕だけか?
ホテルに戻り一人ペロン君のオートバイにまたがり、街のマッサージを探しに出かける。
 ペロン君お薦めのこの店はいわばバンコクの置屋。秋川リサ似の娘を指名し、ベトナム以来続く肩・背筋の
マッサージを頼む。20ドルを払い2階の個室へ。どちらかというとタイ式マッサージ。
ヘタだけど1時間一生懸命やってくれたのでチップは通常2〜3ドルのところ10ドルはずむ。当然だ。

4日目:ホテルから20分ほどで憧れの「アンコール・ワット」へ

 こんなデカイものが東南アジアのジャングルに眠っていたのか。前回行ったアユタヤの遺跡などとは
スケールもそうだが、かもしだしている存在感、雰囲気がまるでちがう。この宇宙と繋がっているかの
ような寺院は11世紀後半のヒンドーの遺跡であり、中央塔を四角に囲む塔、そこから東西南北に門を構え、
その外に巾230mの堀を10kmに渡り張めぐらしている。門までの橋の造り、石畳の通路はどうしても
ローマの遺跡を連想してしまう。

 これらは近くの山から切り出された砂岩を積み上げて造られている。外壁に刻まれた深いレリーフは、
エジプトでは王が神になる話であるのに対し、大体はこの地域でおきた戦争の物語であり、あまり
宗教色はないようである。

 午後から数々の寺院を内胞する城郭都市「アンコール・トム」にむかう。

南門から入り、まず中心に構える「バイヨン寺院」へ-なんという偉大さ、神秘さ、中央塔を何重にも
囲んだ数知れない仏像の顔の四面体。ただそれほど大きくはないジャングルの奥の崇高なたたずまい。
これらは13世紀の大乗仏教の遺跡である。その時の王によって宗教は変わるのだが、環境決定(可能)
論に因って考えれば大した違いはないものと思う。

 そこに突如襲うスコールと車のエンスト、まるで外来者の侵入を拒んでいるかのようだ。
今日は、まだ早いが引きあげることにする。幸い代替車の到着前にワゴンは回復し、ホテルに戻る。
ただしこのホテル、プールがないのが最大の欠点である。予算があればソフィテルかグランドを選ぶといい。

 夜は再度マッサージを呼び、昨夜に続き肩から背筋を揉んでもらう。やっと痛みは取れてきたようだ。
秋川リサのおかげだ。

5日目:そういえばこれらの寺院の池は、毛越寺の庭の池を連想した。

今夕、バンコク経由でもう日本に帰らねばならない。
朝来たガイドはペロン君ではなくベテランのガイドが来た。あまりに日本語が通じないため、
変更したようだ。これでジェスチャーゲームも終わりかと思うと、ホットしたがかわいそうでもある。

午前中は2時間ほどかけ「バンデイ・スレイ(女の砦)」へ

ここも砂岩に彫られた深いレリーフ−東洋のモナリザ−がある。
昼食後、ホテルで少し休憩した後、最後の訪問地「タ・プロム寺院」へ

ここが一番の人気スポットだそうだ。アンコール・トムと同時期に建立されたそれは、壁や外部・内部
一帯がガジュマルに覆われ、あるいは根っこが食い込み、壁を護り、ときに壊していく。
まるでインデイ・ジョーンズの世界。午後かならずやってくるスコール。

予定をすべて終え、バンコク経由NH夜便で成田に戻る。

 明日から上海に向かいます。今回はコンサルタントの仕事です。契約を成立させ次第帰国の予定。
旅行社も旅行だけでは食べていけない時代となりました。



                                   
黄山研修  2001.4/27
   (屯渓の商店街)

 今回の研修は世界遺産「黄山」と麓の町「屯渓」である。 

 MUにて出発、上海1泊後7:20発のMU便で屯渓へ 所要約40分。
 そこから車で約2時間走り雲谷寺へ。ここは黄山への入口になる。ロープウェイにて15分、山頂に着く。
 ロープウェイは週末は非常に混みあっており、予約がなければ2-3時間は待たされると覚悟すべし。
 もちろん元気な方は階段を約3〜4時間登ってもいい。標高は1870m程。72峰を持つ花崗岩の巨大な山塊で
 名物は雲と松と岩と温泉である。

 山頂は日曜日のせいか人間で渋滞している。ここから約30分下って今日から宿泊する西海飯店へ。
 宿泊施設としては他に中国風の北海賓館や小さな旅館がいくつかあるが、外国人受け入れとしてはここが
 いいのだろう。

 バイキングで簡単に昼食を済ませ、排雲亭、飛来石、光明頂、と廻る。尾根歩きのようなもので
 少しキツイところはあるが、気分爽快である。特に排雲亭からみおろす絶壁は高所恐怖症の身にとっては
 足がすくむ。ここはまた美しい夕日で有名。ただ名物のガスのせいでよく見えない。一周約3時間。

 久しぶりの山歩きでふくらはぎが痛い。そこでマッサージ嬢を部屋に呼び、さっそく足裏マッサージを
 試してみるが、ヘタのひとこと。なんの効果もない。この20歳のマッサージ嬢は他の遊びをしきりに勧める。
 中国でも海南島はその手の遊びでよく知られるが、こんな山のてっぺんでこんな遊びがあるとは少々驚きである。
 日本の山は神が宿る神聖なところと相場が決まっており、まあ、日本では考えられないことである。 

 翌日、元気な者は清涼台日の出を見に4時起きで向かう。
 依然、山は名物のガスの中であり、何も見えない。そこで北側の別のロープウェイで下ってみる。

 この100人ほども乗れるロープウェイはすごい迫力である。。少し下るとガスが晴れてきて、
 まさに黄山の雄大さが一目瞭然。
 崖の下まで1000m近くはあろうか。モンブランの3800mまでいくそれには及ばないが、新穂高のものなどは
 くらべものにならない。なんせ花崗岩の切り立った崖を一気に乗り越え下っていくのである。

 松谷庵、翡翠池を散策し、再び山頂へもどる。山はあいかわらずガスの中である。おまけに小雨も降ってきた。
 ホテルに戻り、昼飯を食べ、マージャンを囲む。
 ここはバイキングはあまりおいしくないので定食を頼んだほうがよい。ビール大瓶10元(150円)の安さには
 ビックリ。これらはまさに次から次へと人海戦術で、強力が麓から延々と担ぎあげているのである。

 翌日、相変わらずのガスの中を下山。1日目がまあまあの天気だったので救われたが、昨日からきた1泊の人は、
 ガス以外何も見えなかったことになる。
 ここは最低2泊はする必要がある。

 麓のホテルで昼食を済ませ、屯渓へもどり、老街を歩く。

 ここは中近東のバザールのようである。宋・明代の商家が残る1.5kmの町並みを、買い物を楽しみながらの
 散策である。
  きゅう県の硯を¥10000で購入。墨の工場を見学。ここはまた緑茶の名産地でもあり、漢方薬で大儲けした
 安徽省の徽州商人の故郷である。

 夕食は名物の三石料理。鳥、筍、茸、スッポンなどなど。少々荒っぽい料理ではある。
 21:50の便で上海に戻る。

 翌日から、蘇州観光組と上海中医薬大学漢方組に分かれ、夕食はいつもの西郊賓館の薬膳料理で合流。
 ここはなんど来ても品の良さ、味の良さに感心し、夜は雑技団クラブ「一休」であけくれ、
 明朝便で帰国。



(2)BC4000年エジプトへ   

 8/23-30の8日間の旅(私の印象)                           遊裕人 2000.9/03

  MS(エジプト航空)にて出発 これ南周りなためやたら遠いこと-マニラ/バンコック経由のためなんと20時間
 たしかヨーロッパの各都市へは12−14時間じゃなかったっけ。
  でも考えてみるとダイレクト便はないわけで、ヨーロッパ経由でも、結局時間的にあまり変らず、
 つまりはエジプト5000年の文明に出会うにはこの時間を耐えるしかないわけである。
  おまけにこのモスリム航空は酒が出ないのだ。ただただ救いは、隣がかわいらしいマニラ大学への女子留学生だったし
 マニラからはイスラエルにメードとして2年間働きに行くマニラ女性だったこと。

  2日目:さてギザの三大ピラミッドとスフィンクス - これが意外と小さい。万里の長城を見たあとだと、
 とても大きさでは比較にならない。しかし美しい。なんと美しく雄雄しい傾斜角なのだろう。北斎の赤富士を
 想わせる。メンカフラー王の玄室に入る。
  しかし暑い。36度はあるだろうか。1本2ポンド(約60円)のミネラルウオーターがあっという間に空になっていく。
 あまり暑いのでサッカラは後回しにし、
エジプト考古学博物館へ。ここにあったであのツタンカーメンの黄金のマスク

ギザ/カフラー王のピラミッドツタンカーメンのマスク

  翌日はなんと3時起床で6時の便に乗ったはずのルクソール直行便が、どういうわけかシナイ半島に飛んでいき、
 ここに降りてしまったではないか。すわ、パレスチナ人に乗っ取られたかと思ったが、どうも乗客人員が少なかったので
 2都市を1便で済ましたということらしい。すごい国である。
 なんせエジプト航空しか飛んでないのである。文句なぞいえる立場にないのです。

  ルクソール古王国のピラミッドからその墳墓はここナイル中流「王家の谷」へ。ツタンカーメンの墓であまりにも
 有名になった所。そして
ハトシェプスト女王葬祭殿−数年前テロで旅行者が殺されている。
 それにしても暑い。木がない。草がない。国土のたった4%のナイル流域を離れるともうそこは砂漠でしかないのである。
 
  
カルナック神殿ルクソール神殿。岩壁に穴をあけただけの墳墓だけでは物足りないだろうか。神殿を創り、
 ピラミッドの代わりに
オベリスクを建てる。壁や柱は主に大理石や砂岩で、像は上流のアスワンから洪水を利用して
 運んできた花崗岩。とくにカルナック神殿は、そのスケールの大きさといい、デザインといい、ギリシャやローマの遺跡
 と比べてもはるかに圧倒される迫力である。

  昼食は名物ハト料理。味はまあまあか。ただここエジプトは食事はあまりみるもの(食べるもの)がない。
 印象に残った料理は後にも先にもこれだけである。

  4日目 アスワン経由でアブシンベルへ
 今日もフライト時間は変更に次ぐ変更である。乗り換えの時間を利用してアスワンハイダム
 建造時アメリカとトラブルがあり、旧ソ連が資金と技術を援助して完成したということ。
 その人造湖−ナセル湖の大きさは琵琶湖の8倍、7年分のエジプトの需要をまかなう。その1/3はスーダンの水利権とか。
 機上から見るナセル湖の周囲にはやはりなにもない。ひたすら砂漠だけである。

  アブシンベル神殿アスワンハイダムに水没するところを救ったのはユネスコである。余裕があれば少しはユネスコに
 寄付をして欲しい。なんとこの大神殿を丸ごとナセル湖畔まで移築した。4体の岸壁に彫り込まれた坐像はすべて
 ラムセス2世の時代毎の姿である。
 今日はこれだけを見にわざわざ炎天下を飛んできたのである。

  夕 アスワンに戻る。カタラクトホテルから眺めるナイルの流れはすばらしい。壮大な流れるオアシスというところ。
 プールでひと泳ぎした後、ファルーカ(帆掛け舟)で街のバザールへ。ここは香辛料やお茶がお薦めらしい。
 種類も量もかなりある。
   
アスワン/ホテルから見るナイルの流れカイロのベリーダンス

  ヒエログリフを刺繍したTシャツを1枚7USドルで買う。なんとこれが食わせ物だった。色は落ちるし、洗えば破れる。
 しかしなんとなく気に入ってしまったから不思議なもの。さすがエジプト5000年の歴史。
 珍しくbeerの瓶を見つけたのでさっそく飲んでみる。がまたしてもやられた。このまずい味-ノンアルコールだった。
 そうだった。ここは回教国でアルコールなぞ街中にあるわけがないのである。
  しかしバザールはいつ来てもワクワクする。
 ダマされるのもまたおもしろい。なーにバクシーシとおもえばいい。

  5日目 イシス神殿未完のオベリスクのある石切場をみて午後のフライトでカイロへ

 この頃になると神殿の壁絵はパターンがわかってくる。要は王が神になる話-ただそれだけのことなのだ。あまり過剰に
 期待しないしないほうがいい。
  そういえばカイロ空港で40分ほどだろうか。足止めをくった。ムバラク大統領が通るからということらしい。
 やはりこの国はただものではないのだ。

  6日目 ダハシュールの屈折ピラミッドと赤ピラミッドサッカラのジェセル王の階段式ピラミッド
 
これらはギザの前作であり、完成度は低い。側面の傾斜角が重要なのである。緩すぎては美しくない。
 メンフィスのアラバスタ(大理石の一種)製スフィンクス
、これはギザのものよりはるかに新しいものだろう。

  午後からモハメド・アリ・モスクへ、これはイスタンブールのブルーモスクのコピーだろうか。
 2本しかないミナレットとライムストーンで造られた白いモスク。モスクは青いタイルが美しい。

  その後は
ハンハリーリ・バザールへ、ここもおもしろいけどモスリムの世界としてははるかトルコなどに及ばない。
 やはりエジプトの偉大さははクレオパトラで終わっているのだ。しかしその偉大さは観光だけであと2-300年は食っていける
 ものだろう。

  最後の晩はナイル川デイナークルーズ、チョコレート色の長い髪でベリーダンスを踊っていた娘。
 その表情の明るいこととセクシーな身体の線がとても印象的でした。

  7日目 再び地獄の19時間を耐えて、8日目無事成田へ到着
 
 急激な砂漠化が広大な北アフリカの部族、民族を東へ東へとナイル河畔に強制移住させ、融合させ、エジプト文明として
 開花させたのはなんと気候の変化のなさしめた技だったのである。世界の四大文明のキーワードは砂漠化とそれに耐えた
 大河である。
  ただ残念なことにエジプトBC4000年の歴史と現代の回教国エジプトとは何の文化の繋がりもありません。

  土産:ツタンカーメン/クレオパトラの銀製カルトーシュ、絹と綿の小ジュータン、クリスタル製香水瓶パピルスのレターヘッドと壁画、ふんころがしの置物、
     ヒエログリフの刺繍入りTシャツ、個人名カトルーシュ入りTシャツ など

  やはり地球はすばらしい。美しいしおもしろい。




再び中国へ                         裕遊人 3/09

  2/29(火)CAにてまず北京へ、満員のためビジネスクラスへ変更してくれた(ラッキー!)
 北京空港は新しく全面改装された。しかしCAのスチュワーデスは相変わらず仲間同士でオシャベリ
 に夢中。それにスカートを履かないせいか、全員オバさんに見えてしまう。減点1。
 ホンマだいじょうぶかいな、このキャリア。
  今回は北京国際飯店(4ツ星) 王府井に近く欧米人が多い。お薦めである。

  夜、Mrs.劉と会い、打ち合わせ。これは北京中医薬大学の元学長/高さんに紹介して
 頂いた外国部の所長さんである。会話は英語にて。ガイドの電話番号が変わって連絡が
 とれなかったためである。 

  3/01 早くも3月に突入。時の流れがますます加速するこの頃。
 朝 ガイドの白さんと打ち合わせを済ませ、taxiで北京中医薬大学へ。
 重装備で来たわりには,聞いていたほどの寒さはない。
  昨日の劉さんに大学内の諸施設、付属病院等を案内して頂き、午後からは天壇公園へ 
 以後王府井を廻り、四川料理(しゃぶしゃぶ鍋)を食べホテルに戻る。
 大学は上海中医薬大学と同じレベルか?

  3/02 昼のフライトで上海へ 所用約2時間 国内便でもパスポートは必要だし
 空港税50元徴収されます。ただし免税店もありますよ。
  友人Aが空港に迎えてくれた。最初は上海賓館(3ツ星)へ

  3/03 ここは相変わらず安いけど朝食がマズい。
 テェックアウトを済ませtaxiで上海中医薬大学へ 朱副院長と6月研修の打ち合わせ。
 その後次回から使用する上海富豪東亜酒店Regal Shanhai East Asia Hotelへcheck-in.

 ここはなんとオリンピック競技場の中にある4ツ星の新しいホテルである。
 やはり欧米人が多い。気に入ったので次回からの使用をきめた。日本料理店もある。
 最上階のバーからは競技場が真下に見えオーナーにでもなった気分。

  これで今回の旅行の目的をほぼ達成したので、友人Bと順風大酒店(6375-8999)で食事。
 ここは蛇料理がおいしい。
 この店もオープンしたばかりの地元人しか知らない店である。

  3/04 午前中なにもせず。そして午後も特になにもせず。
 夕方から上海航空旅行社の金さん花さんと夕食に南京路へ繰り出す。
 日本でいえば居酒屋か。さすが土曜日超満員である。もちろん地元人ばかり。
 性格・仕事ぶりでは男勝りの金さんいわく、「上海美人に囲まれて幸せね」だと。
  この美人ども機関銃のようによくしゃべる。「女同士の話は上海語なのよ」これでは全然不明白!
 その後伊勢丹へ洋服の買い物につきあわされ、最後は1人ホテルへcome back。

  3/05(日)10:25 CAにてgo home. お疲れさまでした。 



(1)桂林とは、そして再び 西安(4/29-5/02を参照)へ      (1999/9/03)夢遊人 

 今回は姉夫婦、先輩夫婦が一緒です。上海の友人もスルーガイドとして同行し総勢6名の大名旅行。

 8/25(水)UA夕便にて上海へ,3時間で到着
    空港近くで夕食を済ませ、日航龍白ホテル(4星)へ

  8/26(木)MU朝便にて目的の桂林へ、所用約2時間
    到着後、畳彩山、蘆笛岩、七星公園等を廻る。
    蘆笛岩−これは鍾乳洞である。しかもそのスケール、内容はすごい。
        秋吉洞、龍泉洞より石筍、石柱ははるかに密、詰まっている。
        青い照明の幻想的世界。

    宿泊はり江畔の帝苑酒店(5星)
       
       (蘆笛岩)                     (桂林-り江下り)
  8/27(金)り江下り

    なんといっても桂林のメインはこれ。
    竹江から陽朔まで約4時間、しかも天気は霧雨と舞台は整っている。
    釣り鐘状の山が重なり、まさに墨絵状態。

    定員60人ほどの船は満員、全席指定2階建て、3階はオープンデッキである。
    2時間後ぐらいに昼食が出る。酒は持ち込まずともビールや桂林三花酒が注文できる。
    ここは世界的に有名なのだろう。
    日本の農協さんをはじめ、欧米から、また中近東(パキスタンなど)からも多勢来ている。

    夕食後WH夜便にて西安へ

    ホテルに着いたのは深夜11時過ぎである。
    中国は便が少ないので、ときどき中途半端な又は極端な時間になってしまう。
    (泊)皇城賓館(日航系4星)は城門内にある。

 8/28(土)兵馬よう坑、華清池、始皇帝陵、大雁塔はこの欄4/27からの報告を参照されたし。

    西の城門からは、先週まで旅行していたコンヤやイスタンブールが遠く見えました。
    夕食は前回と同じく、ここの名物餃子で蒸しもの、水餃子など16種ほどは
    出てきたでしょうか。

    兵馬よう坑:これは始皇帝陵の東に位置し、陵を護る埴輪の軍隊である。
         現在まだまだ発掘中であるが、発掘された6000体以上の全部の顔と表情、
         衣装はみな違う。
         西安は黄河の支流、い河の流域にある。敵が攻めてくるとすれば東からである。
         よって兵馬ようは始皇帝陵の東に位置し、兵馬は東を向いて敵に備えている。
         一気に掘らないのは、兵馬が酸化してしまうからである。
         1974年に発見されたのだが、すでに目にするものは、酸化し色はない。

         敦煌など中国に限らず、ヨーロッパの中世の名画など我々の目にするものは
         残念ながら、色褪せて暗い。だが原物自体はもっと華やかに明るく装飾されて
         いたに違いないのだ。    

8/29(日)朝便で上海へ
    
    到着後、日本料理屋へ直行し、刺身やそば、日本酒を食らう。
    その後は豫園、玉仏寺はいつものコース、疲れ気味なので中医薬大学でマッサージしてもらう。
    夕食後は雑技団観賞、これは6月とメニューが全く変わっていたのには驚いた。
    (泊)ソフィテル(4星)南京東路にあり外灘にも近い。 

 8/30(月)UA838 朝便にて成田に向かう。

 −考察−

   桂林−ここは広大な石灰岩層である。ほかにない特徴は地層が厚くほぼ水平だと
    いうことです。つまり珍しく海底からこの地域一帯がほぼ水平に隆起したということです。
    しかもこれら山々がほぼ々高さ(300m前後)で釣り鐘型をしているということは、
    以外新しい時代の隆起(といっても数千年前の事ですが)でかつその隆起のスピードが
    早かったと思われます。

     石灰岩といえば鍾乳洞です。石灰石はCO2の水に溶ける。
    上記の蘆笛岩のような鍾乳洞は、おそらく数限りなくあるに違いないと思います。
    蘆笛岩も1959年発見といいますので、未発見の巨大鍾乳洞がゴロゴロあるはずです。
    ケイビングの好きな方はぜひ桂林へ来て世界最大の鍾乳洞を探して下さい。
    同じ地層面を水平に探していけばいいのです。
    
    西安−シルクロード西端のトルコとの共通点は

     1.乾燥地帯であること(気候、環境がとても似ている)
     2.温泉を病気治療に役立てている、そのためのりっぱな施設を持っている。
     3.西瓜、メロン、石榴等くだものは非常に似ている。
     4.絨毯、そしてその織り方
     5.東西の交流(特に西から東へ)は非常に盛んであった。

  ちょっとまとめ方が悪く,後ほど整理しておきます。

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トルコを旅して                     (1999.8/23)夢遊人

    
   (カッパドキア)              (エフェソスの図書館跡)

 トルコ航空の後援で8月15日から22日までの8日間、総勢80名程で   
イスタンブール/トロイ/ペルガモン/イズミール/エフェソス/パムッカレ/カッパドキアを駆け足で廻りました。
朝は毎日5〜6時に起き夕8時の到着の繰り返し,行程はきつかったけど楽しい毎日でした。
 以下はその内容と考察です。

8/15(日)13:10発TK1023にて成田出発
     20:00イスタンブール着 13時間は思ったより遠い。(時差6時間)
     まずビックリしたこと、それは現地通貨のトルコリラ(TL)である。
     200USドルを両替したらで500万TL札がドッサリ、100万TLは2USドル以下でしかないのである。   
     Aziyade hotel(4星):7階レストランからマルマラ海やトプカプ宮殿が見えロケーションはいい。
                それにしてもトルコの電源のスイッチは大きい。
                大きすぎてどこにあるか分からない。

8/16(月)9:00発イスタンブール市内観光

     ブルーモスク:6本のミナレット(塔)が王の偉大さを物語る。
     トプカプ宮殿:ここの財宝は99年間のトルコの国家財政を賄うとか。
            それにしてはいかにも緩い警備体制。

     午後バスで一路南下し、ダーダネルス海峡をフェリーで渡る。(行程約5時間)
     泊:チャナッカレ Akol hotel

8/17(火)朝3時頃、地震で起こされる。かのトルコ大地震である。
     さすが不安で久しぶりに神様に祈ってしまった−助けてくれ!と。
     幸い、ここは震源地から250KMほど西に離れてしまったが、1日ずれていたら
     もっと肝を潰したに違いない。
     なにせこの国は一般の建物はレンガを積み重ねただけで5階以上の建物を
     造っているのだから。

     トロイ、ペルガモンを経てトルコ第3の街イズミールへ
     アレキサンダー大王が夢のお告げで創った街
     今日の行程約4時間、(泊)Gaziler hotel

     このホテルからの旧市街の夜景、これはトプカプ宮殿の宝石よりずっときれいだった。
     半月を置いたような小高い山を埋め尽くした民家から放たれる青、赤、黄、緑の光は
     まるで宝石箱。
     しかしトルコには何といっても青が一番よく似合う。

8/18(水)地震の概要がだんだんと伝わってくる。
     それは同行者へ日本からFAXが入ってくるからだ。
     以後毎日悲惨になっていくニュースを聞くことになる。
     今日はエフェソスからパムッカレに向かう。

     エフェソス:この遺跡は大きさといい、復旧度といい、見応えはヘレニズム最大のものか?
           買春宿の方向を示す足の裏が道路の石に彫ってありました。
           
           アルテミス神殿(大理石で創られた最初の神殿)に一本だけ残った柱と
           その柱の上に巣作りした水鳥 
           聖母マリア教会
           この街も海面の後退で衰退していったと思われる。

     昼食後パムッカレへ

      沿道にはオリーブといちぢく、ポプラ、以外と多い松の木。そして山羊の群。
     禿山のようで禿げ山でない地中海沿岸の岩山。一本の木には一定のテリトリーがあり、
     そこには一本の木しか生えていない。
     オリーブの裏返したようなあの葉の色はあまりに強すぎる日差しへの抵抗か。 

     パムッカレ:今回最も期待した石灰棚、各地の鍾乳洞やアフガニスタンで見た石灰の河床棚
           (10/06参照)とどう違うのか。
           残念ながら大いに期待はずれ。管理の悪さからズタズタといっていい状態。
           お湯は流れていない(一定の時間しか流さない)し、棚は多くが壊されている。
           こんな貴重なものを,なんてことしたんだ。馬鹿野郎!
           水着で泳ぐなんてとんでもない。

     今日の行程4時間、夕食前にホテルのプールで泳ぐ事が出来た−気持ちイイ−
     (泊)Richmond hotel

  今日で旅も半分経過、旅は半分過ぎると残りはアッと言う間に終わる。
  人間の一生とよく似ている。   

8/19(木)今日はコンヤからカッパドキアへ 

  植生が変わってきた。オリーブからポプラ、葡萄、とうもろこしへ。
  このあたりの豊富な地下水を汲み上げ散布しているので、山は禿げ山だが、平地は緑が豊か。

  コンヤ:セルジュク時代のシルクロードの終点。
      メブラーナ教団で知られる。踊る宗教団体。
      この教えは「あなたが外から見えるのとおなじようになるか、または内面と同じように
      見えるようになるか、どちらかになりなさい」
      同じイスラムでも恵まれた地域ならではの緩い戒律と考え方

      ここは革製品が有名でデザインはイタリア風、色彩も豊か
      ファッションショーを見て気に入ったものを探す。

  昼食後シルクロードを通りカッパドキアへ
  道は車が少ない。トラックは目立つが乗用車はほとんど見かけない。
  これは、トルコ人はまず家を建ててからでないと車は買わないから。 
     
  カッパドキア:この日はウチヒサールと、台地に登っては落日にワインで乾杯!
  今日の行程8時間半−疲れました。(泊)Festival Kapadokya 

8/20(金)ギョレメ野外博物館や地下80Mのカイマクル地下都市 

  このあたりは比較的新しい凝灰岩と砂岩から成っている非常に柔らかい地層である。
  簡単に掘り崩せ、家として住んでいた。
   地層はほぼ水平なので、堅い砂岩層を屋根や床とし、柔らかい凝灰岩層を掘り崩せば
  簡単に家が出来てしまうのです。

   地下都市はなんと涼しいこと。最初はクーラーがあるものと思いました。
  冬は非常に暖かいそうです。
  ここはキリスト教徒が回教徒を避け、住んでいた所。

  午後からトウズ湖(2番目の大きさの塩湖だが深さは2M程しかない)を経て首都アンカラに向かう。
  夕方便はまだ地震の影響からか、1時間以上遅れ、懐かしのイッスタンブールへ

  1泊目と同じホテルに着いたのは0時を廻っていました。
  アンカラまでの行程4時間半

8/21(土)今日はグランバザールで買い物とボスポラスクルーズ  

   グランバザールはゆっくり値切っている時間も無く、気のいい店のおじさんから刺繍入りの
  シャツを値切り取ったようになり、申し訳ありませんでした。(もっともあとで大きすぎた
  ことに気付くのですが)

   そして最後のボスポラスクルーズへ
  100人以上は乗れるでしょうか。
  みんなでオープンデッキに座り、ブルーモスクやトプカプ宮殿を海から眺め、ビールや
  RAKI酒(水で50:50で割ると白く濁る)で乾杯。
  海峡大橋(第一、第二)をくぐり、黒海の手前でトルコ最後の昼食をとる。

  夕TK151便にて成田に向かう。

8/22(日)10:45成田着

  今回もいい旅ができました。感謝!
  25日から中国は桂林とシルクロード東の玄関/西安に向かいます。

考察1.シルクロードの西の端になりますが、新彊(中国西部)や中近東と比べ、気候条件は
     はるかに恵まれている。特にその豊富な地下水(地下水脈となって流れる石灰岩層の存在)
     そのせいか、回教国ながらはるかに緩い戒律。

   2.ヘレニズム以降の数々の遺跡が存在するが、思ったより少ない全盛時ローマの遺跡。
     それにしてもなんという発掘・復元の遅さ

   3.地中海の存在なしでは考えられない数々の文明
      地中海が無かったらこの地域は砂漠化しただろうし、
      ボスポラス、ダーダネルス、ジブラルタル海峡がなかったらカスピ海(海抜-1000m)か
      死海、あるいはタクラマカン砂漠のようになっているだろう。
      地図上でみればこの広大な海に流れ込む河川は、ナイル、ポー、ローヌぐらいしか
      無いのであり、アルプスを除けば周りはすべて砂漠である。

      なおボスポラス、ダーダネルスの成因はこの地域の隆起に勝った海流の浸食作用と
      考えられる。でなければこれほど細くて長い海峡の存在は考えられない。
      いわゆる「先行河川」の海版である。

   4.都市(文明)の衰退は、気候条件の変化(乾燥・砂漠化)に加え海岸線の後退
     (土地の隆起か海水そのものの減少)が考えられる。

   5.2泊目の深夜3時頃、チャナッカレで地震に遭遇、長い初期微動(遠隔地ということ)
     とそれにしては大きな揺れから、大地震の予感がしました。
     バスから建築中の建物が見えるのですが、鉄骨など使わず、細い鉄筋とコンクリートの
     か細い柱と壁ブロックだけで次々と五階以上の建物が造られているのです。
     大災害になってしまいました。
    6.食事は、誰にも食べやすいが、これぞトルコ料理といったものはカバブを除き
     食べませんでした。

   7.土産の買い物には、米1$は必需

   8.とても親日的なトルコ、遠くて近いトルコ、もっと我々から近づいてみませんか。 



アーユルベーダとは?                    遊裕人8/21

 
多くの方はまずインドの国を思い浮かべるかもしれない。確かに3000年といわれる起源は
インドにある。だがもとは同じ国であったスリランカは独自にそれを発展させてきた国だ。
勘違いして欲しくないのは、アーユルベーダとは単にリラックス効果を追求するマッサージではなく、伝統医学、
代替医療なのである。西洋医学のように悪いところは切り取るという発想ではなく、その人が生来
持っている体のバランスを整え、自然治癒力を利用して身体を直すというもので、この考え方は
中国やタイにも多大な影響を与えたといわれる。

 スリランカはかつてイギリスの植民地だったこともあり、多くのヨーロッパ人が観光目的で
やってくるが、アーユルベーダの治療施設院を持つホテルも多く、気軽に治療を兼ねて静養している。

 通常は7-8日で1クールなのだが、短期での体験コースとしては以下のような治療を行う。

1.ドーシャチェック
  お客様の状態や体質のチェック
2.トリートメント
  頭、顔のマッサージと、ハーバルオイルを使った全身ボデイマッサージ
3.ハーバルバス
  ハーバルスチームで薬草の蒸気を浴び、ハーバルバスでリラックス
4.シロダーラ
  仰向けの状態で人肌に温めたオイルを額に落とします。
  極上のリラクゼーションが味わえます。  
5.アロマルーム
  スパイスの香りと心を鎮める音楽でリラクゼーションの仕上げ
6.ハーブテイー
  心身ともにリラックスした後は、ハーブテイーでくつろぎます。

など一連のコースを約2時間をかけ、料金はUS60-70$というところです。


神秘の湖「バンデイ・アミール」−アフガニスタンを訪ねて−(遊裕人7/12再稿)

 岸壁に彫られたあの巨大仏像で知られるバミアンをトラックで早朝出発、
3時間ほどで目指す「バンデイ・アミール」へ、−ついに来た−!

 しかし一体ここは何なんだ?
この砂漠の中の涸れ川にそびえ立つ高さ5-7m程の連なった壁は。

よじ登ってみると何ということだ。
満々とたたえた湖水があるではないか。それも底が見えないほどの澄みきった藍色。
一体砂漠のどこからこれだけの水が湧き上がって来るのというのだ。
あまりの美しさを独り占めしている不安と畏れ。
からだの平行が崩れ、湖に引き込まれそうになり、とても真下を覗けない。

 地質学的には、ここはオープンな鍾乳洞の千枚皿らしい。峡谷に沿って数枚の巨大な皿が
並んでいると考えられる。石灰の地層は時におもしろい地形を形造る。各地に残る鍾乳洞や
トルコのパムッカレ、中国の桂林、九寨溝などがそうだ。上流から、bandi zol fi kal,bandi pudina,
bandi panir,bandi hibad,bandi oraman,bandi kanbarと続く。

 浅いのはグリーンに、深いのは濃い藍色、大きいのもあるし、底が見えない程深いのもある。

宿に帰るとランプの調子が悪いとテントホテルの主人(子供だが)が修理にかかりきり。
途中魚影が見えたので、針に糸をつけ、パンくずを練って釣りに行く。
マスの一種だろう。7−8匹をたちまち釣りあげる。

 宿に戻ると我がご主人殿はまだ修理に没頭している。
しょうがない。暗くなってきたので、一緒に泊まることになりそうな
ドイツ人やオーストラリア人と釣ってきた魚を焼いて食う。
どうやらこれが今日の晩飯となるらしい。

 この川の水で煎れたお茶が実に旨い。本物のミネラルウオーター。

そこは、まさしく(ガキ)の頃からあこがれていた砂漠の奥の、奥の、いちばん奥の湖

 ただしこれはもう20年以上も前の話。
今も夢に見る
アフガンの砂漠の彼方−神秘の湖「バンデイ・アミール
あれはほんとうは夢だったのかしらん。
   



                                       
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