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日本最北の島/利尻・礼文(9/27-29)               遊裕人9/30

(日本海洋上からの利尻富士)            (姫沼の逆さ利尻富士)

3・4年ほど前からか、大ブームとなっている利尻・礼文を訪ねてみました。
これを仕掛けたのは近ツーあたりか?多分稚内のホテルと組んで「蟹食べ放題」の企画を冬場に
2万円前後で出したあたりからすごい人気となっており、夏場は連日百名以上のツアーが来てる
のにはビックリ。近ツーがほとんどで一部阪急のtrapicsだ。

 開拓者近ツーに敬意を表し、9/27-29の2泊3日「利尻・礼文ゴールデンルート」に参加してみました。
料金は「たっぷりプラン」で¥46800(2人1室の場合)で数年前の半額に近いのではないでしょうか?

1日目:羽田発9:55のANA便で稚内へ(11:40着)後「うま宗谷グルメ市」で昼食(自由食)-たらば蟹や
ホタテ、イカ等を焼きながらラーメンを、そしてショッピング。たらばや毛蟹を宅送する。その後、大沼
バードハウスで白鳥
を、後、稚内公園:氷雪の門ノシャップ岬では水族館で「クリオネ」と幻の魚「イトウ」を
見てホテルへ。稚内サンホテル-ここはビジネスホテルのようなものでイマイチ。

2日目:フェリーでまず礼文島へ。花の島礼文はフラワーガイドがトレッキングのガイドをしてくれる。
まずゴロタ岬に登り(往復約40分)、最北のスコトン岬ヘ。花はだいたい咲き終えたようで6-8月が
ピークとか。
 昼食はイクラ丼、昨日もそうだったがやはりここの魚介物はおいしい。30歳前のガイドもなか
なか話がうまい。単なる観光案内ではなく、自分の生活をからめ案内していく話術はもう東京近辺
ではほとんど聞かれない。
 午後再度フェリーで利尻島へ。大学からのあこがれの山だ。この利尻富士は海抜1700メートル余り。
海からなだらかに傾斜していくが頂上付近は結構急峻だ。姫沼湖畔から湧き出る名井を飲み、
沓形港の海底探勝船、仙法師岬公園でゴマフアザラシと対面し、オタドマリ沼で坂逆さ富士を見てホテルへ。
 今日は北国グランドホテル泊、ここは温泉で料理もよかった。トイレは昨日同様ウオシュレット付なのは
ありがたい。もうすべからくホテルにはウオシュレットを備えてもらいたい。

3日目:フェリーで稚内に戻り、再び自由昼食、昨日食べ過ぎたせいで、全日空ホテルのラウンジでケーキと
コーヒーで過ごす。このホテルが稚内では一番よさそうだ。再びグルメ市でショッピング。そして日本最北の
宗谷岬ヘ。ポテトのほくほくしたコロッケがとても美味しかった。
近くには大韓航空機の慰霊碑がありました。黙祷、そして平和の鐘を撞きました。

午後14:45のANA便で無事帰京しました。

 年配者のグループや礼文のトレッキングには最高かも。
また、若い人が少ないのは非常に残念。山をやるならここはぜひ登っておきたい。



上海中医薬大学その後                    遊裕人9/15

 今回20回目の上海医療研修を実施いたしました。今回は問診(特に舌診)を新たに授業に組み入れ
ました。大学は夏休みも終わり、新学期が始まっており、また10月から新校舎移転を控え、少しあわた
だしい雰囲気でした。

 最近は、短期の留学生も増え、今では年間700名を数えるまでになりました。そこで今回、特別に
当社の実績や貢献に対し、大学から優良旅行社として認められ、推薦状をいただきました。
もちろん旅行業界を通じて私どもが初めての、かつ唯一の推薦業者となります。

 これは、最近では大手のJ社なども参入してきておりますが、すべて私どものコピーした内容を
現地業者に丸投げしているのですから、当然のことと考えます。
さらに、医療研修だけでなく現代の中国の実情を正しく紹介する姿勢も評価していただきました。
私どもは、毎月中国に出かけ、マスコミの報道に惑わされない正確な情報をこれからも提供して
いきますのでご期待ください。



(5)スリランカ/4つの世界遺産とアーユルベーダ体験紀行      遊裕人2003.8/29
    
    古都ポロンナルワ                インド洋

 スリランカはインドの南に位置し、北海道をやや小さくした広さに約2000万人が住んでいます。
共和制をとるので大統領がおられます。(チャンドリカ・バンダーラナーヤカ・クマトンガ大統領)
ベトナムのようにある程度、マスコミや観光業者によって造られた人気とちがい、ここスリランカは
見るに足る本物の遺跡や自然公園がすばらしいものでした。また、アーユルベーダも想像とちがい、
実にいろいろな目的ややり方がありました。

8/23(土)UL845便13:20発コロンボ直行便は300名の満員の客を乗せ、約9時間でスリランカへ、
チャーターしたワゴンで空港近くのエアポートホテルへ、時差3時間で午後6時ころチェック・イン。
この夜、ちょうどこのホテルで結婚式があり、夜中まで飲めやうたえの大騒ぎでした。
我々は、明日からの研修に備え、早めに就寝です。

8/24(日)8時30分ホテル発古都ポロンナルワへ、ワゴンで約4時間のちょっと長い道のりです。
簡易舗装が多く、ゆっくり寝てられる状況ではありませんが、車はクーラーも効いており、快適です。
ここは最初の首都アヌラーダプラから、10世紀末タミール人に追われたシンハラ人が造った第2の首都に
なります。このシンハラ王朝は仏教の普及に力をいれたため、多くの仏教遺跡があちこちに、
それこそゴロゴロあります。石立像から始まり、ポトグル・ヴィハーラの図書館跡、7階もある壮大な宮殿跡、
クワドラングル、アタダーゲ、ワタタ-ゲ、ハタターゲ、ガルポタ、パバル・ヴィハーラ、ランカテイラカ、キリ・ヴィハーラ、蓮の池(僧の沐浴場)
などなど。ちょうどカンボジア/シェムリアップの寺院やミャンマー/バガンのパゴダのようでいくつあるのか
わからないほどです。(世界遺産1)

 適当に切り上げ、近くのホテルで昼食、これから以後の食事は基本的にバイキングのカレーが
主体となります。約6〜8種類のカレーをパサパサのご飯にまぜ手で食べます。

 このあたりはサバンナのようなところで、草原と、ため池とまたジャングルの繰り返しとなり、
これからシギリヤに向かう途中、いろんな自然動物に遭いました。保護区となっているため、道路の
すぐそばで野生の動物が見られるのです。象、鹿、マングース、ヤマアラシ、孔雀、オオトカゲなどで水牛や
猿に至っては数え切れず、その他ひょう、ワニ、クマ、センザンコー、ホシガメなどがいます。

 さて今晩のホテルはSIGILIYA VILLAGE HOTELです。このホテルはイタリア人の設計だろうか?広い敷地に
コテージが並んでいて、その部屋はすごくシンプル。でも必要なものはさりげなくすべてあるのです。
たとえば、ろうそくとマッチ、天井から下がった大きなfan,背もたれの高いしゃれた椅子。
ただしバスタブはなくシャワーのみです。

 夕食後、ホテル内のアーユルベーダを体験(第1回)しました。
ここは医療行為としているため、まず医師が健康チェックをし、ボデイ・マッサージだけ受けました。
アーユルベーダの共通の特徴としてハーバルオイルを多量に使いマッサージしますので、頭から体中
ベトベトになります。ここはあまりオススメできる内容ではありませんでした。要するにヘタでした。
観光地なので期待はしてなかったのですが、全くそのとおりでした。

明日は今回のメイン観光であるシギリヤ・ロック(世界遺産2)に登ります。
    
    シギリヤ・ロック                 シギリヤ・レデイ

8/25(月)いろんな鳥の鳴き声で目を覚ましました。
昨夜はいい夢をいっぱい見たようです。混まないよう、8時には出発し、シギリヤ・ロックへ、
それはジャングルの中に垂直にそそり立つ岩山。地中深くに眠っていた花崗岩塊が南側からの
横圧で褶曲し、せりあがったものと思われ、まさに片麻岩化しています。
登ること、階段1200余り。中腹の壁に描かれたシギリヤ・レデイはあまりにも有名。また、かつては鏡のような
ミラー・ウオールを抜け、頂上に立ちました。
 強い風で飛ばされそうです。360度見渡せる景観。まわりは壮大なジャングルです。
そもそも5世紀後半、父を殺し、王位を奪った長男カーシャパが弟の復讐を恐れ、この垂直に切り立った
岩山の頂上になんと王宮を建て、11年間国を統治したのです。しかし最後は弟に攻められ自害する。
この遺跡はつい最近(19世紀後半)見つかったばかりなのです。

 人間の野望と悲しみに満ちたシーギリヤ、カーシャパほど孤独な王はいないだろうね。

その後、ダンブッラの石窟寺院(世界遺産3)

この寺院も岩山の中腹にあり、やはり階段を300段ほど(?)登ります。5窟からなり、それぞれ涅槃仏や
多くの仏像が安置されています。古くは2100年前の14mある涅槃仏が有名です。ちなみに両足親指が
ずれているのが涅槃仏で、そろっていれば寝釈迦です。微妙な違いですが。

その後、さらに南下し、キャンデイ(世界遺産4)へたどり着いたのは夕刻になりました。
ホテルはマハウェリ河の河畔に建つMAHAWERI REACH HOTEL、コロニアル風のすばらしいホテルです。
少し休憩して、さっそくキャンデイ・ダンスを見に出かけました。

その後、夕食前に街のアーユルベーダ医院で2回目の体験治療です。ここは、街から少し離れた治療院で
街の人が気軽に来ていました。フルボデイ・マッサージとスチーム・サウナ、ハーバル・バスを体験しました。ベッドが
木製だったので膝が痛くなりました。2時間US40$

8/26(火)キャンデイは高原の盆地にあるスリランカ第2の都市です。約1000mの高原にあるせいか
朝晩の風がとても快適です。軽井沢の別荘地のようです。

 まずはキャンデイ湖のほとりにある仏歯寺へ。
もと王宮跡ということで、とても広く、立派なものです。ただ3年ほど前にタミール人とシンハラ人との
抗争でテロがあり、爆弾を積んだ車が突っ込んだそうで、警戒は厳しいものでした。仏歯寺とは名前の
ごとく、仏様の歯をインドから運び祭ったお寺です。ここではそれが王権の象徴でもあり、アヌラーダプラ→
ポロンナルワ→キャンデイへと遷都とともに運ばれてきたものです。
 
 スリランカといえば、宝石とセイロン茶とが有名です。さっそくブルーサファイアの指輪を30分頑張って
約3割値切って買いました。そして茶畑を見て、セイロン紅茶の工場でお土産を買いました。

途中、象の孤児院で45頭の水浴をみて、そこからベルワラのホテルまで約4時間かかりました。

 最後の宿泊は EDEN RESORT&SPAでインド洋に面し、大きなプールのあるホテルです。お客のほとんど
はヨーロッパからで、特にドイツ、フランス、スペイン、イタリア、イギリス人が多いようです。やっとここのプールでひと泳ぎ
できました。

      
       アーユルベーダ施設         シロダーラ治療

8/27(水)午前中はこのホテル内のスパで3回目のアーユルベーダを体験しました。コースはフルボデイ・マッサージ、
ハーバル・スチーム、ハーバル・バス、そして念願のシロダーラを選びました。このシロダーラこそ、温めたハーバル・オイルを
額に垂らしていくアーユルベーダを象徴する施術法なのです。約2時間US70$

そして、プールでひと泳ぎしたあと、最後の昼食をとり、コロンボに向かいました。

途中、シュダレッパ・アーユルベーダ・ヘルス・リゾートに寄り、専属のドクターからアーユルベーダの講習の可能性などの話を
伺いました。ドクターの強調したことはアーユルベーダはマッサージではなく治療なのだ、ということでした。

 言葉はインド同様クセがありますが、もと英国の植民地だったので、どこでも英語が通じます。まだまだ
はだしの人も多く、全体的に貧しいですが、人々はとても人なつこく、目が合うと必ず微笑が返ってきます。

 そして夕刻ULのモルジブ/マーレ経由で12時間をかけ、翌日昼前成田に戻りました。4泊6日の駆け足旅行でした。
帰りがけちょうど上海の上空を飛んだのですが、来週から再び上海で中医学の講習が始まります。
ガンバラナクッチャ!


アーユルベーダとは?                    遊裕人8/21

 
多くの方はまずインドの国を思い浮かべるかもしれない。確かに3000年といわれる起源は
インドにある。だがもとは同じ国であったスリランカは独自にそれを発展させてきた国だ。
勘違いして欲しくないのは、アーユルベーダとは単にリラックス効果を追求するマッサージではなく、伝統医学、
代替医療なのである。西洋医学のように悪いところは切り取るという発想ではなく、その人が生来
持っている体のバランスを整え、自然治癒力を利用して身体を直すというもので、この考え方は
中国やタイにも多大な影響を与えたといわれる。

 スリランカはかつてイギリスの植民地だったこともあり、多くのヨーロッパ人が観光目的で
やってくるが、アーユルベーダの治療施設院を持つホテルも多く、気軽に治療を兼ねて静養している。

 通常は7-8日で1クールなのだが、短期での体験コースとしては以下のような治療を行う。

1.ドーシャチェック
  お客様の状態や体質のチェック
2.トリートメント
  頭、顔のマッサージと、ハーバルオイルを使った全身ボデイマッサージ
3.ハーバルバス
  ハーバルスチームで薬草の蒸気を浴び、ハーバルバスでリラックス
4.シロダーラ
  仰向けの状態で人肌に温めたオイルを額に落とします。
  極上のリラクゼーションが味わえます。  
5.アロマルーム
  スパイスの香りと心を鎮める音楽でリラクゼーションの仕上げ
6.ハーブテイー
  心身ともにリラックスした後は、ハーブテイーでくつろぎます。

など一連のコースを約2時間をかけ、料金はUS60-70$というところです。


神秘の湖「バンデイ・アミール」−アフガニスタンを訪ねて−(遊裕人7/12再稿)

 岸壁に彫られたあの巨大仏像で知られるバミアンをトラックで早朝出発、
3時間ほどで目指す「バンデイ・アミール」へ、−ついに来た−!

 しかし一体ここは何なんだ?
この砂漠の中の涸れ川にそびえ立つ高さ5-7m程の連なった壁は。

よじ登ってみると何ということだ。
満々とたたえた湖水があるではないか。それも底が見えないほどの澄みきった藍色。
一体砂漠のどこからこれだけの水が湧き上がって来るのというのだ。
あまりの美しさを独り占めしている不安と畏れ。
からだの平行が崩れ、湖に引き込まれそうになり、とても真下を覗けない。

 地質学的には、ここはオープンな鍾乳洞の千枚皿らしい。峡谷に沿って数枚の巨大な皿が
並んでいると考えられる。石灰の地層は時におもしろい地形を形造る。各地に残る鍾乳洞や
トルコのパムッカレ、中国の桂林、九寨溝などがそうだ。上流から、bandi zol fi kal,bandi pudina,
bandi panir,bandi hibad,bandi oraman,bandi kanbarと続く。

 浅いのはグリーンに、深いのは濃い藍色、大きいのもあるし、底が見えない程深いのもある。

宿に帰るとランプの調子が悪いとテントホテルの主人(子供だが)が修理にかかりきり。
途中魚影が見えたので、針に糸をつけ、パンくずを練って釣りに行く。
マスの一種だろう。7−8匹をたちまち釣りあげる。

 宿に戻ると我がご主人殿はまだ修理に没頭している。
しょうがない。暗くなってきたので、一緒に泊まることになりそうな
ドイツ人やオーストラリア人と釣ってきた魚を焼いて食う。
どうやらこれが今日の晩飯となるらしい。

 この川の水で煎れたお茶が実に旨い。本物のミネラルウオーター。

そこは、まさしく(ガキ)の頃からあこがれていた砂漠の奥の、奥の、いちばん奥の湖

 ただしこれはもう20年以上も前の話。
今も夢に見る
アフガンの砂漠の彼方−神秘の湖「バンデイ・アミール
あれはほんとうは夢だったのかしらん。



ミャンマーから                            遊裕人2003.6/3
        
          
 
(yangon-シュエダゴン・パゴダ)                      (bago-家族で参拝)

 今回は時間があまり取れず、少しきつい日程です。滞在中、アウン・サン・スーチー女史の身柄拘束が報じられ、一体この
軍事政権下の国は安全な旅行ができるのだろうか?またかの「ビルマの竪琴」で有名なこの仏教国にまだ心優
しい人々はいるのか、そし数千のパゴダ群は健在なのか、この国のSARS問題はどうなのかを報告します。

 5/30(金)夕刻全日空機でバンコクへ、NH915便はUA,TGの共同運航便になっており、期待に反して超満員で
ある。AIR各社は相当減便しており、スター・アライアンスグループで調整した結果です。バンコク深夜着、ホテルへ

 SARSの影響でいつもより観光客ははるかに少ないが、この国に感染者が入ってきたことはあるが、二次感染
者は出ていない
ので、4月の中国などと違い緊張感はありません。

 5/31(土)8:15発のTG303でミャンマーの首都ヤンゴンへ、1時間半程で着きます。バンコクとの時差は30分。

 到着時の空港では額で体温を測ったり、それなりにSARSの対策はとっているが、中国が海外渡航を自粛して
いるため雲南省などから陸路で入ってくる者もあまりないようで、この国に感染者はいません
そのまま、貸切バスでバゴーへ、約1時間半ほどの距離。両替は公式なものは1US$=6チャットらしいがガイドは
今日は1US$=900チャットですという。個人で行くと200US$を強制的に兌換券に換えられ、使い切らなくてはなら
ない。この孤立した軍事政権はよほどUS$が欲しいようです。
レストランでビールを頼んだら、昨日は大瓶1本1000チャットだったが今日は2000チャットになったという。誰が飲むかコノヤロー。

 でも飲んだ。うまかった。「MYANMAR BEER」--シンガポールから来たタイガービールなどもあるが、この地元のビールが
おススメである。ちょうどタイのシンハーやフィリピンのサン・ミゲルのようなもの。
ミャンマー料理は中華風、タイ風、インド風などがミックスしたようなものだが主食にはしっかりとライスを食
べる。果物はマンゴーが旬。その他パパイヤ、パイナップル等。チーズケーキやプデイングが美味いという者もいる。

 カカットワイン僧院で修行僧の生活を、そしてシュエモードパゴダ(同国で114Mと最も高い)、「ビルマの竪琴」に出て
くる寝釈迦で名高いシュエターリャウン・パゴダを廻りヤンゴンに戻る。なおこれらのパゴダは10世紀前後のものである。

 アウン・サン・マーケットに行けば市民の生活の様子やレベルがわかるが、ベトナムのホーチミンなどと同じように相当活気があり、
カンボジアなどよりは、はるかに自立しているし、裕福そうです。
そして世界最古(6C)にして最大のシュエダゴン・パゴダ(シュエは金、パゴダは仏塔という意味である)へ。これはうわさ
通りのすばらしさで、中央のパゴダを取り巻く無数の小パゴダや建物があり、金箔のパゴダはこれ1塔で十分満足
するものです。これら大きな、人気のあるパゴダは金箔でまばゆいかぎりです。
                               宿泊:NIKKO ROYAL LAKE YANGON(5☆クラス)
煙草を吸うおばば/BAGAN-ニャンウーマーケットで

 6/1(日)今日も朝が早い。6:30発HK917便でバガンへ。約1時間のフライトである。すばらしい町である。
11世紀から13世紀にかけ栄えたバガン王朝はかつて400万ものパゴダが群立した仏教王国であったが、かの
蒙古のクビライ・ハーンの侵入によって亡びてしまった。この町はカンボジアならシェムリアップ、日本なら飛鳥・奈良であろう。
残存する3千余のパゴダのほとんどはレンガのまま、あるものは金箔で、またあるものは漆くいで白く塗られ、
無秩序に、畑や木のように、自然の一部として建っている。
そう、ちょうど飛鳥時代の斑鳩の情景とはこんなものだったのではないだろうか。

 昼食は「RIVER VIEW」でイラワジ川を眺めながら中でミャンマー料理を食べる。川風がとても気持ちよく「MYANMAR
BEER」がドンドンすすむ。その後いくつかのパゴダとアーナンダ寺院タビインニュ寺院を廻る。ダマヤジカ寺院では、同行の
1人が気分がおかしくなったのだが、あとで聞いたらこの寺院は呪われている(?)との噂であった。

 バガンのホテルはコテージタイプがほとんどでプールやスパも備え、長期滞在にも十分の設備を持っている。
サクラホテルタラバホテル、タンデホテルなどが4☆以上のホテルである。以外にヨーロッパからの滞在客が多く、
いくつかのホテルのオーナーはイタリアなどのヨーロッパ人である。
ただ、我々が行ったこの時期はどのホテルも数名で貸し切りの状態で大歓迎である。
旅行とはこういう時期に行けばいいのである。株は安い時に買えばいい。

 夕刻はイラワジ川を夕陽を眺めながら約1時間のクルーズ、お土産は漆器が有名。行く先々に同じ子供の売り
子が待っていて、絵はがきや漆器を売っている。値段は全部1US$である。これらはトルコでもエジプトでも同じ。
買い物にはUS1$札が欠かせない。                宿泊:TANDE HOTEL(OLD BAGAN)4☆

 6/2(日)今日もまた朝が早い。8:05発HK-917便でマンダレー経由ヤンゴンへ戻る。昼食はROYAL GARDENで飲茶。
ヤンゴンはセドナトレーダー(以上5☆クラス)はおススメ、セントラルは3☆学生やパッカー向き、安くて街の中心にある。
ナイトはソフィテルホテルのバーでひろえばいい。追加ホテル代とバーのドリンク代を含め、1晩100US$といったところ。
ヤンゴン空港の近くで夕食とシャワーを浴び、バンコク乗り継ぎNH-916便で6/3(月)朝、成田に戻る。

 ミャンマーはお隣のタイと同じく仏教国で、主なパゴダは11から13世紀に創られたものです。この時期、インド
シナ半島からインドネシアにかける地域は、ヒンズーやイスラムの影響を相当受けていて、例えばカンボジアの
「バイヨン寺院」は仏教寺院といわれているがイスラム寺院の特徴ももっているし、すぐ隣の「アンコール・ワット」はヒンズー
の寺院である。現在イスラム経最大の人口を抱えるインドネシアはボロブドールの仏教遺跡が示すようにかつては仏教が
栄えた穏やかな地域であったが、まずヒンズーが進入し、それもやがてイスラムに追われ、バリ島に逃げ込むのである。

 穏やかな時代には仏教が栄え、厳しい時代になるに従いヒンドー/イスラムが栄えてくるのです。ラッツエルの言うように
時代の環境が宗教や文明を決定していくのです。仏教でも小乗仏教から大乗仏教へとここバガンのように変わります。
インドで産まれた仏教が、環境の変化と共にヒンドーにそしてイスラムに追われ、東に移っていく。それはちょうど
天気が西から東に移っていくのと同じです。地球が東から西に廻るから、文明は西から東へと移動するのです。
アフリカで産まれた人間が、東に歩いて歩いてインドシナである者はインドネシアに向かい、ある者は日本を通り、
アラスカから南北アメリカを縦断し、ナスカに至る。これが私の考える数万年前の人類の大きな流れ「human-river
です。これに対し、文明や宗教は5000〜2000年前の比較的新しい話で、仏教の場合、2500年ほど前のインド北部で生まれ、
ガンダーラで大きく発展し、シルクロードを東に流れ、中国、韓国、日本へとたどり着くのである。

 さて話は戻り、この時代(11〜13世紀)インドシナは非常に栄え、文明、宗教が衝突した非常に面白い時代だったのは
確かです。ただ遺跡としては、純粋な仏教的金箔のパゴダに「アンコール・ワット」や「アンコール・トム」ほどのインパクトはないかも
しれません。

 繰り返しますが、これらの国ではSARSの心配はほとんどありません。前にも言ったように、このウィルスは風邪の一種
ですから、暑い国ほど、暑い時期ほど心配ないのです。
またミャンマーは現在軍事政権下にありますがが、逆に治安はよく、今は行き頃です。
政治的に揉めるようだとしばらく渡航できなくなる恐れがあります。
直行便がないため、バンコク経由で行程上キツイ面がありますが、これからパッケージツアーは増えてきそうです。
ただせっかく行くからにはBAGANだけははずせません。


 (客家:和貴土楼2/26)厦門(アモイ-XIAMEN)へ          遊民舎2003.2/27

  
2/25(火)〜27(木)の2泊3日の駆け足で福建省厦門へ

 最近、JAL,ANAとも直行便を飛ばし始めたため、厦門が成田から3.5時間とぐっと近くなりました。
 そこでさっそく客家の土楼を訪ねました。

 2/25 JL607便で(9:30-12:55)厦門へ 着後胡里山砲台南普陀寺を周り、後に4星ホテルを3館を
 下見、山は一帯が花崗岩。建築材や墓石としてさかんに輸出される。
  しかし思ったよりずっときれいな街である。コンクリートの道路にはゴミがない。果物と花と石の町、
 バナナとさとうきびと竜眼、ランとディゴト・・・そういえば昨年研修した昆明に似ている。2月という
 のに昼間は26度にもなる。
  
  アモイとは地元の呼び名、中国語ではXIAMENという。ここも経済特区であり、最近の経済成長は
 すさまじく、DELやパナソニックなどの電気、コンピュター関連の大企業が続々と進出し、今日も新しい工場が作ら
 れている。海を挟んでお隣は台湾領の金門島がすぐそこにある。当然台湾からの進出企業も多く、
 夜の町は、それら台湾人や、韓国人が豪勢な宴会を毎夜繰り広げている。まるで80年代末の日本のよう
 である。今回使用したホテルはマルコポーロホテル。4ツ星で街の中にあり便がいい。 

  2/26 車で2.5時間かけ、山合いの客家を訪ねる。客家人は中国のユダヤ人と言われる。黄河近辺から
 争いを避け移住してきた彼らは、外からの防備のため円形の(四角もある)集合住宅を作って済み始めた。
 出入り口は主にひとつだけ。周りの壁は土で塗り固めた堅固なつくりである。中は木造4〜5階建てが多い。
 中庭には必ず井戸があり、1階は食事をつくりまた食べる場所である。
  今回訪ねた「和貴土楼」はその中でも最大で4階建て、300年前の清の時代に作られ、多いときには
 50所帯が生活していた。これらのなかから登小平李登輝(元台湾大統領)リー・クワン・ユー(元シンガポール
 首相)などの大政治家や大実業家が続々と輩出する。中国のユダヤ人と言われる所以である。
 貧乏だった彼らは一族の最も優秀なものだけに金をつぎ込み、高等教育を受けさせたのである。

  2/27 コロンス島に渡る。フェリーで10分ほど。島自体が公園のような町である。マカオのような
 雰囲気もある。自動車、オートバイのほか自転車までも乗り入れ禁止。カート(電気自動車)で島を一周する。
 約5KM。ここはもと台湾の富豪の別荘から発展したとか。ピアノをたくさん持ち込んだためか、有名な
 ピアニストをたくさん輩出してたんだと。

  アモイに戻り、最近できたウォルマートを覗き、昼食に飲茶を食べ、JL608便(14:05-18:25)で先ほど
 無事成田に帰りました。

 -夜の町探索-

  中国は南に行くほど開放的である。特に今回の厦門や昆明、そして海南島などはナイトツアー
 盛んである。ここ厦門のあるカラオケクラブは1階はショウをやっており、2・3階は個室である。
 呼べば20〜30人ぐらいの若くてきれいな小姐がズラッと並ぶ。客はその中から自分の好みに合った小姐を
 指名する。あとは飲むなり、歌うなり、町に繰り出すなり、自分のホテルに連れてくなり自由である。
 大体の料金を教えておこう。店でのカラオケ、飲み放題(ビール以外は有料が多い)で約4-5000円程。
 朝まで付き合うと25000円ほど。これにチップが100元ほど必要である。
 ちなみにショーをやっている飛び切りの美人ダンサーも呼ぶのは可能だ。これには5万円とチップ500元が必要。

  マッサージはいろいろあるが、町の専門店で45〜60分で100〜150元。ホテルの部屋で呼ぶと45分毎に150元、
 これにチップが100元ほどかかるが、さらに料金によってはいろんなサービスもある。あとでもめないよう
 いくらでどこまで遊べるのかををしっかりと確認したほうがよい。中途半端に遊ぶよりクラブにいくのが
 いい。そういえば、昔のバンコクや台湾に似てなくもない。ただ日本語も英語も基本的に通じないのが難で
 ある。



                                       
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