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(7)米国西部・グランドサークルを周る(8/23-30)             2005.9/2遊悠人

 LAS VEGASの噴水ショー          ブライスキャニオン           アーチーズ国立公園       

 今回は久しぶりのアメリカです。スキーで行ったネバダのレイク・タホ以来です。その時も、ホテルの
1階はすべてカジノなのでビックリしました。今回は事務所移転などいくつもの行事が重なったため、
ゆっくり企画する間もなく、現地の5日間グランドサークルのツアーに便乗させてもらいました。日本から4組9人
現地在留の方4組9人、合計で18人とガイド1名の旅となりました。

 8/23:JAL便にてラスベガス直行、やはりこの辺りを周るにはこの町が起点となる。入国時は約1.5時間
並ばされました。ここの国際空港は国内線のそれと比べ、一回り小さく審査口が3ケ所しかありません。
そこで指紋(両人差し指)や写真を撮られるのですから、時間もかかるわけです。
ホテルはルクソール、エジプトをテーマとした巨大なホテルです。もっともこの町のホテルは3〜5000室
もあるのが普通です。その巨大な部屋数を埋めるため、カジノが日必要なのです。これらのホテルはすべて
1階はカジノとなります。そして時に億万長者を生み出します。

 結局ホテルチェックインは夕方となり、食時後、夜景を見に「スフィアセンター」に行くが、ここでもエレベーター50分待ち。
このタワーの面白いところは展望台の上にゲームランドがあることだ。しかもそれは屋外にあり、スリルを求める
なら打ってつけだ。なお1階のショッピングセンターで地球儀の準宝石を埋め込んだ大玉が100〜150$で売られて
いたのにはショック!中国製なのに上海よりずっと安いのだ。1ケタ違うんじゃないのか?
帰りにH.ベラージオの噴水ショーを見てホテルに戻り、カジノで運試し。もっとも当たったためしはないが。

 8/24:5日間グランドサークルツアーの参加者がこのホテルに集まり、8:45AMいざ出発。大型バスに18人はちょうど
いい人数である。まずザイオン国立公園に向かう。ドライバーはこのバスの大きさにふさわしいドデカいロバート、
JAZZ好きで陽気な黒人である。

 こういったツアーでは最低限の参加ルールとして、@時間を守る、A必要以上に他人の詮索をしない
ことはもちろん、とかくわがまま・自己本位な人間性が出てくるので注意をしたい。それとB機内では、トイレが
近い者は通路側に座る、皆が就寝中は窓ブラインドを開けない、C食事付きのコースでは最低限の食事マナーも備え
たいもの。また、他人や外国人を見下したり、へつらったりするのはまさに最低の行為となる。
 皆が同じく生きてきたわけではない。一人旅もいいが、こういったツアーでは、人それぞれの生き方や
考え方をぶつけ合う絶好の機会である。つまらない人生を歩んできた者は、やはり一緒にいてつまらない。

 さてバスは東に向かいユタ州に入る。時差のためさらに1時間早くなる。途中スーパーで昼食を買込み、車中
で食べる。のり巻きやいなり寿司もある。東に向かうほど時間を繰り上げるため、食事の間隔が短くなり、
どうしても食べ過ぎ気味。

 約3時間でザイオン国立公園到着。まずビジターセンターで資料をもらい、唯一走ることを許された公園内バスに
乗り換え、バージン川沿いに奥に入る。周りは300〜500mの切り立った崖だ。ここには7つのハイキングトレイルがあり、
何泊かして、これらトレイルを歩かないとザイオンの良さは見えない。

 後、ブライスキャニオン国立公園に向かう。途中バッファローの群れに出会う。飼育されているのだ。かつては西部
一帯で走り回っていたあの黒い巨体が数十頭。2時間走りブライスキャニオン到着した時はすでに18時、ブライス・ポイント
からインスピレーション・ポイントまでのリムトレイルをハイキング。ここは馬蹄形のキャニオンの崖っぷちを歩く約2kmの最もやさしい
コースだ。夕焼けに映えたピンク色の侵食地層はまるで西安の兵馬俑のように見え、またトルファン近郊の火焔山のよう
でもあり、とても幻想的で美しい景観である。

 グランドサークルツアー自体、侵食されたさまざまな地形を楽しむものだが、ここが今回で一番新しい白亜紀
〜新生代第三期のものである。湖底に堆積したやわらかな泥岩・砂岩が侵食され、このような地形になったよう
だ。そのため、どんどん削られており、次回来ることがあればまた変わったキャニオンが見られることだろう。

 今日の泊まりは標高約2500mのブライスキャニオンロッジ。ここで今まで持ってきた携帯電話がやっと通じた。
なにせこのあたり一帯は、電波が届かない。夜9時は日本では前日昼の12時である。私の身体はここ2ケ月の
あわただしさや時差ボケで疲れきっており、即ベッドへ。星空がとてもきれいだった。

 8/25:今日はキャピトル・リーフ国立公園からアーチーズ国立公園までの行程。昨夜は2時頃目が覚めてしまい、寝た
ような、寝ないような心身喪失状態。それでも6時半、ご来光を拝みにサンライズポイントへ。さすがに高地なため
気温は日中の40度から8度ぐらいまで下がる。
 ロッジで簡単な朝食を済ませ、ここから2時間半かけ、キャピトルリーフ国立公園に向かう。ここのビジターセンターで
地層図を手に入れたので、この地域一帯の生い立ちがおおよそわかる。日本の複雑なそれと違い、ほんとうに
単純な構成に感心する。中生代とは、三畳紀、ジュラ期、白亜紀に区分され、数億年前から数千年前の時代であり、
かの恐竜が栄えた時代で、映画「ジュラシックパーク」はこの時代から取った名前である。ということは今回、恐竜の
骨も期待できるかも知れない。

またこの地域にはアナサジインデイアンが残した壁画や、その後入植したモルモン教徒が残した数々の痕跡や果樹園
などが多く見られ、まさに彼らのこの地域への貢献は絶大なものがある。

 さらに3.5時間かけデッドホースポイントヘ、ここは名前の通り、コロラド川が大きく蛇行したくびれた部分に馬を
追い込み、捕獲した地点である。インデイアンが馬を操り、疾走してしている姿が目に浮かぶ。中生代の地層は、ここ
でもほぼ水平で、数百mもある直立した崖からは、数億年前からの砂岩や頁岩の堆積層がきれいに積み重なって
いるのがよく見える。いわばリトル・キャニオンといったところ。ここから想像するに、グランドキャニオンとはいかなるものや、
期待が大いに膨らんでくる。

 さらに、グリーンリバー経由30分ほどで、今日の最終予定であるアーチーズ国立公園へ。今日もすでに夕方6時を
まわっているがまだまだ明るい。名前のとおり、雨や風で侵食されたアーチ型の残丘や地層が数多く残っている。
なかには巨大なダブル・アーチもあるが、残念ながら今もすこしづつ崩れていっている。今日は一部を巡り、明日
デリケート・アーチまで往復2.5時間のトレイル予定。

 ホテルに向かう途中、スーパーで買い物。ン十年前、最初に来たアメリカでよく飲んだビール「Michalob」を
見つけ半ダース購入、小瓶で6$ほど。こちらは1本で買えば高いのだ。さっそくスーパーを出て飲んでみた。
少しだけ昔の味がした。そもそも軽いビールなのだ。ちなみにこのライト版はまずい。でも運転手のロバート
が寄ってきて、「往来で飲むと逮捕される」んだと。あわててバスに駆け込む。

 今日の宿はモアブのモーテル、夕食は向かいの中華料理「四川」、マーボ豆腐とか久しぶりに野菜を食べた。
味?やっぱ大味である。中国人経営なんだけど。

 8/26 6時起床、なんというツアーだ。日の出参りツアーじゃあるまいし。疲れた体にはキツイ。オムレツ
とポテト、マフィンと2人前の朝食を平らげた胃袋だけは今日も元気。8:00再びアーチーズへ。

 片道1時間ほどのトラム。なだらかな岩山を越え、たどり着いたのがデリケート・アーチ。なんと見事に残った岩の
半ドーナッツ。途中、厚さ1mほどの瑪瑙(メノウ)の層を挟んでいた。きっと昔のインデイアンは矢じりなどに
利用したに違いない。バスに戻り、昨日冷やしておいたMichalobを一気に飲む。一瞬胃袋もビックリし、少し
痙攣したようだ。やはりビールはこうして飲むのが一番旨い。かつて山を登っていた頃、頂上まで水をがまん
して一気にビールを流し込んだことがあるが、のど越しまでは天国。だがビールが胃に達したとたん、痙攣を
起こし、しばらく息ができなかったことがある。命がけである。

 モアブの町に戻り、昨日のスーパーで弁当を買い、モニュメント・バレーへ。かの「駅馬車」「黄色いリボン」「荒野の決闘」
などジョン・フォード監督が好んで使った西部劇の舞台である。ホテルでチェック・インを済ませ、四駆に乗り換え
、一帯を廻る。ここはナバホ・インデイアンの居住地で、それなりの自治が認められている。ちょうどユタと
アリゾナに跨り,ビジター・センターの国旗は、星条旗とユタ州旗、アリゾナ州旗とナバホの旗が四つ翻っている。

 ここで見たのが恐竜の足跡の化石。ジュラ期のものだそうだ。約20cmの足長。ナバホの者に聞いたら、アッ
チで採れたというがなんだかあやしい。でも近くに恐竜博物館があるというから近くで採れたのは間違いない。

 宿泊はグールデイング・ロッジ。ここを開いたハリー・グールデイングがナバホとの交易所としたところで最高の立地。数々の
西部劇を誘致したのも彼だ。だが今夜もよく眠れず、天空を眺めることになる。しかしキレイだ。星の輝きが
違う。銀河に流れるカシオペア。そして大熊座からたどる北極星の周りにも、日本ではあまり見えない星がいっぱい。
俺もずいぶん生きてきたんだな、なんて感傷してる。

    
  モニュメントバレーの朝日           アンテロープキャニオン           G・キャニオン/マーサポイント

 8/27 6:45 部屋から見えるサンライズは、なんと美しく神々しいこと。この景色、やはりここはインデイアン
が住むべき土地と思う。同じ東洋人として、ずっと遠い祖先もこの朝日を見ていたにに違いない。今回来て
よかったー、と初めて思う。なんと広い台地。そうだ、ここはアメリカなんだ。ここモニュメントバレーにはナバホが
住むにふさわしい。

 相変らず、朝食はオムレツにポテト、オレンジジュース、コーヒーのまま。今日グランドキャニオンへ向かう。ここからアリゾナ
だ。この州は、ユタのちょうど南に位置するが、夏時間を採用しないため時計の針を1時間戻す。時差の調整が
厄介だ。バスは昨日から冷房が故障し、車内は蒸し風呂状態。窓は開かないため、天井の非常口を開け、突っ走る
。途中、ナバホ・ナショナル・モニュメントで13世紀頃のアナサジインデイアンの遺跡を遠望。ここにも恐竜の足跡が。途中、バーガー
をかじりながら、レイクパウエル湖畔の町ペイジへ。ここは米国1のグレンキャニオンダム(フーバーより大きい)と教会の多い町だ。

 さっそく四駆車に分乗し、アンテロープキャニオンへ。
ここは、雨季の大雨がこの辺一帯のナバホ砂岩を削ってできた言わばらせん状洞窟の渓谷である。ただ、削ら
れた赤いナバホ砂岩は、光の微妙な差込みによってその雰囲気を怪しげに変え、見方によっていろんな顔や
景色や動物に見せる。まれで別世界にきたようだ。絶好のフォト・ポイントながら三脚は必須である。

 イーストリムから待望のグランド・キャニオンへ入る。なんとこの渓谷は450kmも続く。今回そのごく一部を見ること
になる。まずデザートビューポイントから。ここはちょっと期待はずれ。サウスリムに向かう。まず今宵の
ホテル:サンダーバードへチェックイン。そしてサンセットを見るためヤババイ・ポイントへ。

 あこがれのグランド・キャニオン。このあたり一帯が数百万年かけ、ゆっくりと上昇し、それに伴いコロラド川が
大地を削って今日の景観になったもの。そしてそれは今も続いている。

 渓谷はただ川が削ってできるものではない。大地が隆起するから川が削り、渓谷ができるのである。
ここは大規模なロッキーを造った造山運動がゆっくりと継続して行われたため、このような大渓谷がが生まれた。
驚くべきことに、渓谷の上部はほぼ平坦だが、既に標高2500mもある。まだまだこの造山運動は続くと思われ、
数百万年後には、やがて標高4-5千mの山々が連なることになるのだろう。

 このホテルは、どの部屋からも渓谷が眺められる最高の立地である。リスが跳ね回り、グレイトホーン(大角シカ)
が急峻なガケで餌を食む。今日の夕食はテンダーロインのステーキ、フルコースだ。一緒のテーブルのN君は明日、仕事先の
ニューオリンズに戻る予定だが、大型ハリケーン「カトリーナ」が迫り気が気でない様子。

 8/28 なんと今日は4:45にたたき起こされた。朝日を拝みに行くんだと。マーサポイントでサンライズ。週末の
せいか、やたら車も人も多いのだけは気に入らない。ここはよく撮影され、いろんなメデイアに紹介される
ポイントの一つで、いまにも渓谷に崩れていきそうな危うさがすばらしい。

 懐かしのルート66を一部通り、バスは出発地ラスベガスへ。約6時間。バスの冷房は、ロバートが朝一番で
近くの町で修理してくれており、今までの分を取り返すべく強力に冷房をかける。昼食はルート66復興に
尽力してる床屋の??さん経営の店で食事、そのせいか、店は応援客でいっぱい。

 夕刻、再びルクソール・ホテル。相変わらずミラージュの火山ショーとベラージオの噴水ショウへ。そして少し街を歩く。熱い!
40度はあろうか。同行のN君は、ハリケーン「カトリーナ」の避難勧告で、結局あと2-3日ここベガスに滞在するハメに。
後々のためカジノでいっぱい稼いでくれ。

 今回の旅は個人的に最悪のタイミングだったが、後にやはり行って良かったと思うことだろう。長かったような、
短かかったような、あわただしく過ぎた2005年の夏の夢。

 8/29 HP866(サウス・ウエスト航空)でサンフランシスコ乗換え、JAL001便で日本へ。出国時、再度指紋と顔写真を取られた。
預ける荷物も、貴重品は機内に持ち込み、キーはかけないまま。テロ対策で、キーは壊されても文句が言えない
そうだ。

 8/30 15:30予定より、やや早く成田到着。辛苦了(お疲れ様でした)!


再び香港・上海・北京へ (4/28-5/7)                2005.5.12/遊悠人

 4/28:上海経由香港へ、予約したMU524便は2時間の遅れ、さらに手荷物検査でまた財布、キー、携帯電話を
忘れ、係員に追っかけられる。さらに不乗者が出たらしく、機内でソヤツの荷物の引揚げでさらに30分
待たされ、結局香港への乗継便に間に合わず、上海で一旦入国。次の便でなんとか香港へ向かうが、
その便もさらに30分ほど遅れる。
 これでは先が思いやられる。大体旅というものは経験上、最初トラブルと以後の流れが悪くなる。
特に目的があったわけではなく、航空券は1万円だけのアップでいいというので、久しぶりに香港まで
足を伸ばすことにしたのだが・・・。

 23時到着、新空港になって初めての香港。エアポートEXで九龍へ30分弱、その料金90HK$はチト高い。
ただ便利になったのは間違いない。ホテルは九龍公園を見下ろすBPイナターナショナル。3★1泊8300円。1HK$=約15円

 4/29:九龍公園を抜け、ネーザンロードを歩いてフェリーで香港島中環に渡る。8分1.7HK$
ピクトラムでヴィクトリアピークへ。往復30HK$。天気はイマイチで上からの眺めが悪い。地下鉄でに戻り再び九龍に戻り
尖沙咀からネーザンロードを歩くが、この賑やかさはどうだ。これだけの人間と商品とがあふれている様は上海や
北京をも上回る。そしてやはり中国よりは垢抜けた世界だ。上海の友人へ縫いぐるみ人形とCDを数枚買う。
サイモン&ガーファンクル、イーグルスなど1枚15-20HK$ほど。
 十数年前と何か変ったろうか、何も変ってないように思う。ただ変らないことが悪いことでもない。
夕食は広東料理にする。フカヒレと牛肉・筍の炒め物、野菜炒め、ビール2本で350$(約\5000)。やはり
中華料理は1人だと注文しづらい。量が多くなってしまうのだ。明日は九龍公園内のプールで泳ぎたい。

 4/30:体調がよくない。トラベル・ブルーな状態。公園で本を読み、TVで「エル・ニド」を見て、点心を食い、
ひたすら寝る。夕方ジョーダン駅近くで春天ラーメンと小龍包、焼き餃子、ビールを飲んだら少し元気が出た。
うまいものを食うと少しは元気になるらしいが泳ぐほどの回復はなし。

 5/1:エアポートEXで空港へ、出発まで時間があったのでバーガーキングで朝食。デカ!名前のとおりここの
ハンバーガーは通常の3倍はある。ポテトとコーヒーのセットで550円ほど、支払いはどこの通貨でもOK.この空港は空間を
うまく利用し、機能的にも、また光の取り入れ方もなかなかいい。これなら昼間停電になっても暗くはならない。
無料のパソコンがおいてあり、メールのチェックもできる。
 さてMU702便はまたしても30分の遅れ、ゲートは変わるし面倒なことだ。なぜ遅れるかといえば上海から飛んで
来るのが遅れるから。なんで飛んで来るのが遅いかといえば、空港が混んでいるから。チェックインの窓口の少なさ
とIT化の遅れがそもそもの原因である。特に中国では最近MU(東方航空)の遅れが目立つ。
 15:30浦東空港着、リニアで龍陽路へ、そこから地下鉄2号に乗り換え石門一路へ。今回の宿は海港賓館
2星のホテルで1泊朝食付¥5000ほど。南京西路という場所と安さがとりえ。新しくもある。1楼に馴染みのクラブ
があり、一人で来るときの定宿の一つである。

 夕方、張さんを呼び出し、夕飯に付き合ってもらう。旦那は蘇州に仕事で出張だそうだ。香港から軽い雨の日
がずっと続いている。

 5/2:早めに目が覚め、マズい朝食を摂る。そういえば近頃、特に雑念にとらわれすぎの傾向。飛行機の中で
は一人ひとりの顔をみては、この人はこんな人間だ、あの人はああだこうだと考えはじめ、気の休まる暇がない。
もっと飄々と生きられないものか、風の音や鳥のさえずりが聞こえないようでは、ただ生きてる時間をただ消化
してるだけ。多少の目標を持たないと、よけいなことばかり目に入り、耳に入ってくる。これではただただ
疲れるばかり。
 俺はこの程度の器だったのか、そしてこのまま終わってしまうのか、もっと何かできそうな気がするのに、
などと考えては今日もまたトラベルブルーな状態に落ちていく。

 錦江賓館まで歩いてみる。10分ほどで着く。北楼は趣があってなかなかいい。庭も広く、青い芝がきれい。
ちょうどそこへ連戦党首がやってきた。そういえばなんか物々しい雰囲気だ。公安や見物客がカメラを持って
待ち構えている。彼は台湾野党第一党の党首であり、毛沢東世代の数少ない生き残りである。午前中は
上海博物館を借り切って見学していたようだ。
 その後、南京東路の歩行者通りまで歩く。とにかく運動不足を解消すれば気分が少し良くなるのでは、という
一心である。腹が減ったので第一百貨の上に行ったが、あいにく食堂街は無くなっていた。今日も人出は多く、
混んでるレストランはあきらめ、人民公園の屋台で、羊肉バーベキューと万頭とビールで昼食。その後上海美術館に寄り、
ホテルに戻る。
南京路 王府井

 夕刻、上海中医薬大学に春期留学中のKさんと唐医師と夕食。Kさんはこちらで推拿を勉強中、約1ケ月になる。
初めて会うのだが、唐医師に言わせれば真面目すぎるとのこと。読み終えた日本の雑誌や文庫本を渡し、その後
唐医師と宿泊ホテル1楼のクラブへ。

 5/3:北京に向かう。虹橋空港へTAXIで20分、35元。MU便はマイレージ利用のチケットだ。北京空港は上海浦東空港
よりアメリカ風。リムジンバス3番からとりあえず雅宝路へ30分16元、そこでTAXIに乗り換え王府井の松鶴ホテルへ。
古い3☆ホテルだが場所だけは便利、王府井まで歩いて5分。1泊¥6300、朝食はいいが、ルームサービスがなかなかこない、
セーフテイボックスはしまったまま、など中国民族系ホテルではよくある話。

 さっそく王府井を歩いてみる。SARS騒動以来2年ぶりか。連休であいかわらずすごい人出だ。上海の南京路
と賑やかさや人の多さはいい勝負。昼は日系のラーメン屋でラーメンと焼き餃子を食う。以前と変ったところといえば
屋台が少なくなったことか。

 夕、王老師と会い、全聚徳の王府井店へ行く。1時間待たされた割りには味はイマイチ、はっきり言って
おいしくない。ダッグのアブラが多すぎるのだ。まだ上海店のほうがずっといい。ただ北京ダッグといえば
なんといっても全聚徳、しかし金正日も行く本店じゃないとダメということか。王老師は今までお世話に
なってきた北京中医薬大学の助教授だ。今後の研修の打ち合わせをしたのだが、細身でシャキシャキ動く姿は
相変わらずだ。彼によると北京ダッグを食べるときのネギは山東省産じゃないとダメなのだそうだ。

5/4:天安門へ、今日は5月4日、反日運動の記念日だ。さっそく天安門へ向かいたいのだが全部のTAXIが拒否
する。天安門は駐停車禁止だというのだ。それをみていた1台のTAXIが、前門近くまで行ってしまうがそれで
いいなら乗れと声をかけてくれる。期待に反してデモや騒ぐ様子は微塵もない。それもそうだ。広場は政府が
過激なデモを恐れ、広場全体を封鎖したのだ。人民公会堂脇を歩いて故宮博物院に向かう。相当な人出だが
日本からの団体はひとつもない。中国の田舎から来た観光客や欧米からの観光客がやたら目立つ。入場60元。
日本語ガイドは暇らしく、案内は要らないかと声をかけてくるが、こちとら5、6回目だ。ひとりのんびりマイ
ペースで楽しみに来たのだ。不要!

     故宮/大和殿                           王府井戸の路地街

 故宮はいつもながら圧倒的迫力で迎えてくれる。大和門から中庭を挟んで見る大和殿の迫力、ラストエンペラーの
まさにあのドラ鐘の音が聞こえるようだ。ただあまりの人の多さに早々に北の神武門から抜け出て、歩いて
王府井へ戻る。途中マッサージ店を見かけたので入る。疲れもありずっと探していたのだ。小さな落ち着いた
レストランの2階にあったのだがなかなかいい。60分88元。やはり若い女性に体を揉んでもらうのはなんといっても
気持ちイイものだ。
 夕飯は、最近食べすぎなこともあって王府井の路地に入った屋台街で、そぎ落とした焼肉と野菜をパンで
包んだ新疆風パイとヤシの実1個で済ます。合わせて13元。その後土産屋を物色するが、小奇麗な雑貨屋が
繁盛してるようで、その手の店が結構多い。ヒスイの腕輪など興味をそそられる。電池式の簡易マッサージには
笑ってしまった。わりと気持ちいいのである。しかも安いんでビックリ。購入15?元。
 ホテルに戻り、菊と美奈にtel。彼女らはクラブの小姐だ。上海は雨だそうだ。上海に戻ったら飲みに行くぞ。

 5/5:やはり今日は雨、風も強い。TAXIで北京空港へ。ホテルで乗ろうとしたTAXIは120元とふっかけてきた。
無視して通りで流しを拾う。空港まで道路脇に沿って植えられたポプラは、また一段と大きくなったようだ。
40分で到着。有料代と合わせ74元。
 上海まではCAのマイレージでもらった航空券だ。CAのスチュワーデスも6,7年前と違い、ムダ口を叩いているのもいなく
なり、なにより美人が多くなった。以前は座席の宣伝用パンフレットにスチュワーデスの写真とスリーサイズまで載っていた
のにはビックリしたものだが。
 11:15予定時間どおりに虹橋空港着、TAXIでホテルへ、そして再び海港賓館へ。荷物を預けてすぐ建国賓館
向かう。昼食を上海中医薬大学の張教授と約束したのだ。2階の伊藤屋で久しぶりの日本食。夏から秋にかけて
の研修打ち合わせを済ます。
 夕方、唐医師が部屋まで漢方薬を届けにきた。両替屋を呼び換金、10000万は781元だと。このレートは悪くはない。
今までの分もまとめて支払うが、そのとき菊小姐から夕飯ドタキャンの連絡。ザケンナ。一人で焼け食いとなる。
どうもこれが太る原因かもしれない。

 5/6:近くのコーヒーショップへ。ホテルの朝飯がマズいのでいつも南京西路沿いのダンテに来る。ブレンド12元。
昼、美奈小姐来る。店をチップ制に代えてから金回りがいいようだ。日本料理をご馳走しろというので再び本店
伊藤屋
に行く。彼女は日本語はイマイチだが、若く明るい性格がとりえ。私のものより平気で高いコースを注文し、
うまそうに平らげていく。「木村さーん、あたし今日生理なの。だからビール飲めなーい。ゴメンね。今度のお店
の制服チョーミニよ。え?中身?もちろんTバックよ。胸だってこーんなに開いてるの。すごいよ。個室だヨ。
今晩絶対飲みに来てね。きょうはゴチソーさま。」といって屈託なく笑う。誰が行くか。

 夕方、花さん夫婦と避風塘で夕食。彼女は仕事の時はずっとぼくのガイドを務めてもらっており、つい最近
初めての日本添乗からもどったばかり。旦那はもと会社の同僚だが、現在は日系の企業に勤めている。2年半ほど
前に結婚した際は、私も日本から出席した付き合いだ。彼ら夫婦はとても仲がいい。子供は1歳になったばかり。
3年前700万程で買った新築マンションが今では1200万に値上がりしたと嬉しそう。「木村さん、また儲かる話が
あったら教えてね。」そんなにあるか!でもさすが主婦。がんばってくれ。

 最後の夜はホテル1楼のクラブへ。お店は連休のため閑散としている。女の子たちも手持ちぶたさのよう。
チーママの猫ちゃんは広州へ旅行に行っていない。ママが来て「木村さん、今日はどの娘でもよりどりみどりよ。
なんなら私を指名する?」残念、俺はババアは嫌いなのだ。
菊小姐と会うのは今回初めて。「昨日はゴメンね。今日は徹底的に付き合うから」といって普段飲まない酒を
飲み始めた。母1人娘1人で、最近はなにかと悩みがあるようだ。案の定、飲みすぎでグデングデンの状態。挙句今日は
帰らないと言い出し、荒れそうな様子。なんとかなだめすかしてTAXIに乗せたのが、すでに深夜3時を過ぎていた。

 5/7:朝、唐医師が見送りに来る。漢方薬を日本のお客に届けてくれという。いつもどおり地鉄2号線、リニアと
乗り継ぎ浦東空港へ。今回のMU521便は予定通り12:20に出発し、予定通り15:45成田着。辛苦了!

 時間・空間に溶け込んだ無の状態。時の流れに身をまかせ、雑念は一切浮かばず、きれいな音だけが気持ちよく
入って来る一種のトランス状態。気功やハッシッシなら仮に行けるのだが、いまだ旅のレベルはそこまでいたらず。
今度も欲求不満を抱え、一人寂しく帰るのだ。
次回こそ同行してくれる伴侶はいないものか。



                                       
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